──まずは新作の6曲目、「Detournement」が“グッド・モーニング・トゥ・ジャパン”というフレーズで始まるのが嬉しい驚きでした。続く“美しい崖の上に東から陽が昇り、ハゲワシが飛び回る”という歌詞も日本を意識したのでしょうか?
明確な答えを出したいと思うのは山々だけど、あの時、僕はマイクに向かって無意識に歌詞を放っていた。知覚を持っている存在が目覚めて、地球を網羅しているイメージ。日本から始まり…知識の始まりは東から来ることが多いから。でもそれも自分が後で考えて思った感想なんだ。「なんで僕は“グッド・モーニング・トゥ・ジャパン”って言ったんだろう?」と、後で分析する。とにかく、そういう歌詞が出てきて、その自然な流れを止めなかった。僕が咳払いをする箇所もあるんだけど、そこも残した。だから何を意識したかを憶測するのは僕がしても君がしても同じくらい正しいということ。「ハゲワシが飛び回る」には、少し不吉な感じがあると思う。世界には僕が大好きな都市がたくさんある。これは日本のインタビューだからこう言っているのではなくて、僕は、日本が世界の中で特に好きな場所なんだ。今の家を出て、どこに住んでも良い、と言われたら僕は京都に住む。ロサンゼルスやニューヨーク・シティや他の場所よりも京都に住みたい。日本にいる時、僕は本当にものすごく調子が良いんだ。僕の体に合っていると感じる。日本の文化、技術における細部への配慮、触知性などが素晴らしいと思う。日本に行くと、ここの文明は現在の地球上で最も洗練された文明だと思う。その文明が消滅してしまう時がいつか来るかと想像すると悲しい。それは地球上どこでもそうだ。それは気候変動が原因かもしれないし、コンピューターがある日覚醒して人間全てを抹殺するかもしれない。なんで僕がこんな政治的な話をしているのか分からないな。翻訳するのが難しくなってしまうかもしれないけど、(パーシー・ビッシュ・)シェリーの詩で「オジマンディアス」というのがある。見知らぬ地で見知らぬ人に出会い、その見知らぬ人がいかに自分の王国や都市が素晴らしいかということを主人公に話すけれど、そこはもう砂に埋もれてしまったという話。つまり、帝国がいかに大きくても、達成したことがいかに素晴らしくても、全ては砂に埋もれてしまう、ということを言っている。とても明るい話だよね(笑)。
──“Detournement”にはハイジャックという意味もあるようですが、この曲は飛行機の機内アナウンスみたいなイメージですか?
僕がイメージしていたのは、人工知能のような存在。「おはよう、アレクサ」みたいな。アレクサとか、iPhoneのSiriとか。「おはようブラッドフォード、あなたのアラームは10時に設定されています」「ブラッドフォード、10時にインタビューが予定されています」「おはようブラッドフォード」…だけどその人工知能が突然、自己を認識するようになる。そして、君の運命を突然、認識するようになる。または、突然、邪悪になる。フィリップ・K・ディックの小説や「2001年宇宙の旅」みたいに。「ブラッドフォード、あなたの人生は無意味です」。“Detournement”という言葉は、フランスの状況主義者の概念に用られる表現で、物事を再構成・最設計するという意味がある。僕の解釈は、あるものの意味を別の文脈に置き直すということ。意味をハイジャックする、ということかもしれない。元々は、心理地理学的な実験で、ある都市を歩くとする……言葉を選ぶようにしているから説明するのが難しいけれど、調べればすぐに分かるよ。 “Detournement(剽窃)”と状況主義。言葉を取り上げて、独自の意味を加える、ということ。僕は“ Detournement”をそういう意味で習い、そこからその言葉に馴染んでいった。
──この曲は来日公演でも演奏してくれると思うのですが、今回は4ADのレーベル・ショーケースということで、あなたが好きな4ADのアーティストや、アルバムがあれば教えてください。
僕が子供の頃、音楽にハマり始めて、最初に夢中になったレーベルが4ADだった。その理由はザ・ブリーダーズ。中年になった僕は、今ではザ・ブリーダーズと知り合いだ。キム・ディールは僕の友達。すごく変な感じだよ。彼女のことを、僕が子供の頃思っていたようには、今は見れない。彼女と知り合いになった今、その感覚はもう記憶から消されてしまっている。そうでないと、彼女と話すのが非常に難しくなってしまうから。今は、そういう人がたくさんいる。子供の頃にテレビで観たり、ラジオで聴いていた人たちに、大人になって実際に会う機会があって、今では定期的に連絡を取ったりしている。そういう人たちに大きな影響を受けたということは、今は考えないようにしている。だってそんなことを考えたら僕の脳が理解しきれないから。だから脳はその記憶を遮断している。だから自分が4ADに所属している時はあまりそういうことについて考えないのだけど、実際にちゃんと考えてみると、中古テープやCDの店に行って、4ADのロゴが付いていたものは何でも買っていた自分を簡単に思い出すことができる。ヒズ・ネーム・イズ・アライヴ、リサ・ゲルマーノなど。僕にとって4ADは、音楽の内容を知らなくても4ADだったら全てを買う、というレーベルでその内容にがっかりさせられたことはほとんどなかった。
──新作『Why Hasn't Everything Already Disappeared?』のタイトルは、フランスの哲学者ジャン・ボードリヤールが生前最後に遺した同名のエッセイ集から来ていると思うのですが、このタイトルに込めた想いについて教えてください。
タイトルは確かにボードリヤールのものだよ。僕はボードリヤールが大好きで、このエッセイも読んだ。このエッセイを読む前に、タイトルを見ただけで心から感動したんだ。病気で床に伏している彼を想像した。自分の死が近づいているという状況。それは先ほど話して説明しようとした詩の「オジマンディアス」と似たような感覚やフィーリングがある。うまく説明できないんだけど、「旨味」みたいな感じ。分かる? 味の旨味。それを知った人には分かるんだけど、それを他の人に説明するのは難しい。「オジマンディアス」を読んだり、『Why Hasn't Everything Already Disappeared?』というエッセイのタイトルを見たりする時に感じる感覚はそれに似ている。それは、ある認識なんだ。自分たちが創造したものが、続かないという認識。自分たちが創造したものが消滅してしまうという認識。それは悲しいことだと思うし、感動することだとも思う。ボードリヤールのエッセイは、自分の存在の最期に、「ここにある全てのものは、もう既に失くなっていると予想したのに、なぜまだ残っているものがあるのだろう? わたしは間違っていたのか?」という感覚を僕に与える。でも、それは間違っていなくて、全ては消滅しつつある。全ての文化も消滅する。その心情は不気味で怖い感じがする。なぜ全てはまだ消滅していないのだろうか? 「全ては消滅している」と言うよりも、「なぜ、まだ残っているものがあるんだ?」と言う方が、恐ろしい感覚を含んで言っているように聞こえる。
──アートワークについてはどうですか?
アルバムのアートワークについては、どうして良いか分からなかった。これが人生で2度目だ。いや、こういうことは僕の人生において、もっとあると思う。僕は自分のことを作家というよりは、むしろ、コレクターだと認識している。これから話すことは、僕の人生で何度か起こったことなんだけど、自分が何かに迷ったりした場合は、運に任せることにしている。そうしたことで失望したことは一度もない。僕はアルバム制作中に何らかのアイデアがある方が多く、今回は僕にとっては珍しいことだった。アルバムは数カ所でレコーディングしたんだけど、ロサンゼルスでレコーディングしている時があって、僕は喉頭炎になってしまって声が出なくなった。そこでかかりつけの医師に電話したら、今大事なのは声を使わないことだ、と言われた。君は永遠に喋り続けることができて、喋ることをやめないのを知っているから、今日一日は一人で過ごして誰とも話さないようにしなさい、と言われた。そこで大好きな本屋に行くことにした。本屋では僕は喋らないからね。あとレコード屋でも。その場所では僕は永遠に調べているから。僕は本に囲まれているのが本当に好きなんだ。近場の本屋に行っていろいろなアート本を見ていた。すると、聞いたこともない、全く知らないドイツ語の本が──僕はタイトルも読めないし、作者のプロフィールも読めない──その本はモノグラフだったので、主に画像だった。だけど、その画像の説明や、木炭画や水彩画、油絵と言った表現手段も全てドイツ語だから僕には読めない。とにかく、その本が棚から落ちて、その時に開かれたページが、最終的にアルバムのアートワークになった絵だったんだ。これは本当の話だよ。同じことが起こったのは、アルバム『Halcyon Digest』の時で、地元のリサイクルショップで見つけた本を僕が持っていて家の本棚に置いてあったんだけど、本棚のホコリ拭きをしている最中にその本が棚から落ちたんだ。僕の周りでは、本が勝手に本棚から落ちて、特定のページを開く。実際には2度しか起こっていないことだけど。36年間で2度起こり、その両方とも結果としてアルバムのアートワークになった。両方とも、本が落ちて、あるページを開き、僕は、それをアルバムのアートワークにした。僕はそういう示唆のようなものを受け入れるようにしていて、そういう偶然が起こると、他の人よりも、それに対して興味を抱くんだと思う。僕は(新作のアートワークに使った)ピーター・アッカーマンの作品を、本が偶然落ちたことにより知った。この絵は何だろう? と思った。その説明が読めなかったことが、それをさらに不可解にしていた。日本の本を見ていてもそういう気持ちになることが多い。僕は日本の古いデザインに関する本を集めているんだ。特に、1920年代から1930年代のアール・デコ時代のもの。その当時の日本には、素晴らしいグラフィックデザインがたくさんあった。僕はドラッグを一切やらない。ドラッグにお金をかけるのではなくて、本にお金を費やす。こういうレアな日本のグラフィックデザインの本は、どのドラッグよりも高くつく! 僕には読めないんだけどね。何が書いてあるか全く分からないんだけど、その分より興味深くなる。その分、不可解になる。まるで、未来から来た訪問者が、いまいち理解できない、他の時代の、他の文明を見ているような。象形文字を読めないからね。そこに本当に何が書いてあるのかは分からない。
──すごいエピソードですね!
長くなってごめんね。短くできると良いんだけど。でも全部本当なんだよ! だから編集できないんだ。
──本作のギターはアンプを通さず直接ミキサーに繋がれたということですが、アルバムのコンセプトとはどんな関係があるのでしょう?
僕はこの方法でレコーディングすることが多い。僕の耳に心地よく響くから。僕はリバーブがあまり好きじゃない。リバーブを使う時は、ちゃんとした目的がある時に使いたい。源になるべく近い形で楽器を弾くことに魅力を感じる。ギターをレコード・プレイヤーに直接繋げる。その概念が好きなんだ。エレクトロニックなロック音楽というのは全て電圧を出している。壁から出ている電気を出しているということなんだ。アンプなどの機材はその電気を調整して、耳に聴こえやすい音にしている。歴史的に試行錯誤した結果、耳に心地よいとされている音にね。ギターを直で繋ぐと、とても冷たい音がする。その音が出したかった。
──本作ではウェールズのミュージシャン、ケイト・ル・ボンが共同プロデュースを務めていますが、彼女とは昨年の4月にテキサスのマーファで開催されたフェスティバルで共演していますよね? 本作もその時にレコーディングされたのでしょうか? 彼女にプロデュースを依頼することになったきっかけと、実際に作業してみた感想を教えてください。
ケイトは僕の妹なのさ。血の繋がりはないけど、精神的な繋がりがある。彼女のことは直感的に信頼できる。とても仲良くできるし。彼女とはもう何年も前から友達だ。僕は彼女の活動を尊敬していたから僕から連絡を取った。そうやって出会って、仲良くなった。こう毎回、意気投合することはないんだけどね。尊敬するアーティストに実際に出会うと、自分の期待とは違っていたりすることもある。でも、彼女とは即座に友情が芽生えた。それで友情関係がしばらく続いていたんだけど、彼女がテキサスのマーファで行われる、マーファ・ミスというフェスティバルのアーティスト&レジデンシー・プログラムのキュレーションを務める役に選ばれた。ケイトが、自分が選んだアーティストたちと一緒に5日間かけてアルバムをレコーディングするという企画だった。事前の作曲は一切せず、即興のアルバムを5日間で作る。同じ時期に僕はディアハンターのアルバムの制作準備に取り掛かっていたから、この体験を合わせて、5日間以上の期間にして、テキサスでディアハンターのアルバムもレコーディングしようということになった。だから彼女と一緒にアルバムを制作することになった。元からテキサスで僕と彼女は共演して、その時の経験がとても素晴らしかったから。テキサスでレコーディングするなんて全く想像していなかったけど、とても特別な所だった。人類文明後の、未来の世界のような感じがして、人間の名残があまりないような所だった。とても空っぽな感じ。都市から離れているというか、田舎の風景という意味でね。丘や草原がある。草原は僕に、未来の地球の姿を想像させる。
──今回のアルバムにも「Plains(草原)」という曲がありますものね。
そうなんだ。でも皮肉なことに、あの曲は、草原に行ったことがない時に書かれた曲だった。“Plains”という言葉がなぜか思い浮かんで書いただけだったんだ。今となっては、すべて合致する。曲はジェームズ・ディーンについて歌っているんだけど、僕たちがマーファに行った時、人々はこう教えてくれた。「ジェームズ・ディーンはここで最後の映画を撮って亡くなったんだよ」と。それを聞いた時、一体どうなってるんだ!? と思ったよ。奇妙な話だろ? 偶然って不思議だよね? でも、そういう時は、物事が正しい方向に行っているということなんだ。正しい方向に行っていない時は、そういう偶然は起こらない。自分が主導権を握っているから。けど正しい方向に行っている時は、自分でコントロールするのをやめる。すると、物事が勝手に動き出して、上手く回り出す。
──あなたは愛犬の名前はミシシッピ生まれの作家に由来する“ウィリアム・フォークナー”だそうですが…。
今、彼は僕の足の上で寝ているよ。でも小さい犬じゃないから、彼が寝ている時は結構辛いんだよ(笑)。80ポンドもあるからね。僕の足を枕にするから、僕の足は、彼の巨大な頭と垂れ耳と可愛いボディのせいで毎晩痺れている。
──何の種類の犬なんですか?
「Snake Skin」のビデオに出ているよ。雑種なんだけど、僕たちはリス犬と呼んでいる。リスを追い回すのが好きだから。ハウンド犬の一種だからね。リスを追い回すけど、殺したりはしない。木の上まで追いやるのが好きなだけだ。木に登ってリスを追いかけたいんだけど、犬だから木に登れない。だから木の下にいて、木を見上げている。
──前作以降、アーティスト写真やメンバーの服装も、アメリカ南部っぽい雰囲気になってきていると思います。ジョージア州アトランタという自分たちの出自を意識したりしますか?
そうかい? 全くそんなことは意識していなかったよ。南部っぽい雰囲気というのがどんなものかよく分からないから興味深いなあ。自分の見た目について知りたい時は、知り合いに聞くのではなく、自分のことを知らない人に聞くのが一番だからね。そうすると、自分が本当に他人の目にどのように映っているのかが分かる。自分のことを知っている人は、似たようなファッションやスタイルを参考にしているからね。だから僕に「京都の人と、大阪の人を比べると、どんな格好をしていますか?」と聞いたら、大阪の人の方が、騒がしい格好をしているのではないか、と僕は答えるね。もっとパンクでロックンロールな感じ。大阪にはとてもロックンロールな感じがあると思う。京都はとてもアカデミックで、哲学者や経済学者などが多いイメージ。東京は、ニューヨーク・シティやロサンゼルス、ロンドンみたいなコスモポリタンな雰囲気がある。僕の憶測は全く合っていないかもしれないから興味深いよね。東京には50年代のロカビリーがいるかもしれない。とにかく、僕はただ色を選ぶのが好きなんだ。『Monomania』の時は白黒の模様を参考にした。それも実は、東京で買った、日本の模様の本から発想を得たんだ。日本には、グラフィックスや色や様々な模様についての素晴らしい本がたくさんあるから最高だよ。色の組み合わせについての本とか。だから僕の家にはそういう本がたくさんある。今もここに一冊あるけど、タイトルは読めないから分からない。セイゲンシャ(青幻舎?)が出版している。日本での色についての考え方が書いてある、素晴らしい本だ。とにかく、僕が写真で着ている服は、むしろ、日本からの影響が強いと思うよ。これは、日本の人と今、話しているからそう言っているというわけではないよ! 僕が初めてアメリカの服に興味を持ったのは、日本人の観点からそれを見た時だった。子供の頃の僕は、アメリカンなファッションは、迷惑でひどいものだと思っていた。だけど日本に行った時、ラルフローレンの古着などが売られているのを見た。アメリカでラルフローレンは、ブルジョワの金持ちが着る服だと思われている。そういうのは嫌い。世界では苦しんでいる人がたくさんいるのに、金持ち用の服を着るなんて横暴だと思う。だからそういうのは避けてきた。だけど、日本に行ったら、そこまでお金持ちではない人たちが、ラルフローレンの品質の良さや素材の良さを気に入って中古で購入している。その考えが分かってから、そういうファッションのありがたみを理解できるようになった。この南部っぽいと言われる格好もね。でも最近はまた嗜好が変わってきて、ヨーロッパのデザイナーの服などが好きになってきているよ。
明確な答えを出したいと思うのは山々だけど、あの時、僕はマイクに向かって無意識に歌詞を放っていた。知覚を持っている存在が目覚めて、地球を網羅しているイメージ。日本から始まり…知識の始まりは東から来ることが多いから。でもそれも自分が後で考えて思った感想なんだ。「なんで僕は“グッド・モーニング・トゥ・ジャパン”って言ったんだろう?」と、後で分析する。とにかく、そういう歌詞が出てきて、その自然な流れを止めなかった。僕が咳払いをする箇所もあるんだけど、そこも残した。だから何を意識したかを憶測するのは僕がしても君がしても同じくらい正しいということ。「ハゲワシが飛び回る」には、少し不吉な感じがあると思う。世界には僕が大好きな都市がたくさんある。これは日本のインタビューだからこう言っているのではなくて、僕は、日本が世界の中で特に好きな場所なんだ。今の家を出て、どこに住んでも良い、と言われたら僕は京都に住む。ロサンゼルスやニューヨーク・シティや他の場所よりも京都に住みたい。日本にいる時、僕は本当にものすごく調子が良いんだ。僕の体に合っていると感じる。日本の文化、技術における細部への配慮、触知性などが素晴らしいと思う。日本に行くと、ここの文明は現在の地球上で最も洗練された文明だと思う。その文明が消滅してしまう時がいつか来るかと想像すると悲しい。それは地球上どこでもそうだ。それは気候変動が原因かもしれないし、コンピューターがある日覚醒して人間全てを抹殺するかもしれない。なんで僕がこんな政治的な話をしているのか分からないな。翻訳するのが難しくなってしまうかもしれないけど、(パーシー・ビッシュ・)シェリーの詩で「オジマンディアス」というのがある。見知らぬ地で見知らぬ人に出会い、その見知らぬ人がいかに自分の王国や都市が素晴らしいかということを主人公に話すけれど、そこはもう砂に埋もれてしまったという話。つまり、帝国がいかに大きくても、達成したことがいかに素晴らしくても、全ては砂に埋もれてしまう、ということを言っている。とても明るい話だよね(笑)。
──“Detournement”にはハイジャックという意味もあるようですが、この曲は飛行機の機内アナウンスみたいなイメージですか?
僕がイメージしていたのは、人工知能のような存在。「おはよう、アレクサ」みたいな。アレクサとか、iPhoneのSiriとか。「おはようブラッドフォード、あなたのアラームは10時に設定されています」「ブラッドフォード、10時にインタビューが予定されています」「おはようブラッドフォード」…だけどその人工知能が突然、自己を認識するようになる。そして、君の運命を突然、認識するようになる。または、突然、邪悪になる。フィリップ・K・ディックの小説や「2001年宇宙の旅」みたいに。「ブラッドフォード、あなたの人生は無意味です」。“Detournement”という言葉は、フランスの状況主義者の概念に用られる表現で、物事を再構成・最設計するという意味がある。僕の解釈は、あるものの意味を別の文脈に置き直すということ。意味をハイジャックする、ということかもしれない。元々は、心理地理学的な実験で、ある都市を歩くとする……言葉を選ぶようにしているから説明するのが難しいけれど、調べればすぐに分かるよ。 “Detournement(剽窃)”と状況主義。言葉を取り上げて、独自の意味を加える、ということ。僕は“ Detournement”をそういう意味で習い、そこからその言葉に馴染んでいった。
──この曲は来日公演でも演奏してくれると思うのですが、今回は4ADのレーベル・ショーケースということで、あなたが好きな4ADのアーティストや、アルバムがあれば教えてください。
僕が子供の頃、音楽にハマり始めて、最初に夢中になったレーベルが4ADだった。その理由はザ・ブリーダーズ。中年になった僕は、今ではザ・ブリーダーズと知り合いだ。キム・ディールは僕の友達。すごく変な感じだよ。彼女のことを、僕が子供の頃思っていたようには、今は見れない。彼女と知り合いになった今、その感覚はもう記憶から消されてしまっている。そうでないと、彼女と話すのが非常に難しくなってしまうから。今は、そういう人がたくさんいる。子供の頃にテレビで観たり、ラジオで聴いていた人たちに、大人になって実際に会う機会があって、今では定期的に連絡を取ったりしている。そういう人たちに大きな影響を受けたということは、今は考えないようにしている。だってそんなことを考えたら僕の脳が理解しきれないから。だから脳はその記憶を遮断している。だから自分が4ADに所属している時はあまりそういうことについて考えないのだけど、実際にちゃんと考えてみると、中古テープやCDの店に行って、4ADのロゴが付いていたものは何でも買っていた自分を簡単に思い出すことができる。ヒズ・ネーム・イズ・アライヴ、リサ・ゲルマーノなど。僕にとって4ADは、音楽の内容を知らなくても4ADだったら全てを買う、というレーベルでその内容にがっかりさせられたことはほとんどなかった。
──新作『Why Hasn't Everything Already Disappeared?』のタイトルは、フランスの哲学者ジャン・ボードリヤールが生前最後に遺した同名のエッセイ集から来ていると思うのですが、このタイトルに込めた想いについて教えてください。
タイトルは確かにボードリヤールのものだよ。僕はボードリヤールが大好きで、このエッセイも読んだ。このエッセイを読む前に、タイトルを見ただけで心から感動したんだ。病気で床に伏している彼を想像した。自分の死が近づいているという状況。それは先ほど話して説明しようとした詩の「オジマンディアス」と似たような感覚やフィーリングがある。うまく説明できないんだけど、「旨味」みたいな感じ。分かる? 味の旨味。それを知った人には分かるんだけど、それを他の人に説明するのは難しい。「オジマンディアス」を読んだり、『Why Hasn't Everything Already Disappeared?』というエッセイのタイトルを見たりする時に感じる感覚はそれに似ている。それは、ある認識なんだ。自分たちが創造したものが、続かないという認識。自分たちが創造したものが消滅してしまうという認識。それは悲しいことだと思うし、感動することだとも思う。ボードリヤールのエッセイは、自分の存在の最期に、「ここにある全てのものは、もう既に失くなっていると予想したのに、なぜまだ残っているものがあるのだろう? わたしは間違っていたのか?」という感覚を僕に与える。でも、それは間違っていなくて、全ては消滅しつつある。全ての文化も消滅する。その心情は不気味で怖い感じがする。なぜ全てはまだ消滅していないのだろうか? 「全ては消滅している」と言うよりも、「なぜ、まだ残っているものがあるんだ?」と言う方が、恐ろしい感覚を含んで言っているように聞こえる。
──アートワークについてはどうですか?
アルバムのアートワークについては、どうして良いか分からなかった。これが人生で2度目だ。いや、こういうことは僕の人生において、もっとあると思う。僕は自分のことを作家というよりは、むしろ、コレクターだと認識している。これから話すことは、僕の人生で何度か起こったことなんだけど、自分が何かに迷ったりした場合は、運に任せることにしている。そうしたことで失望したことは一度もない。僕はアルバム制作中に何らかのアイデアがある方が多く、今回は僕にとっては珍しいことだった。アルバムは数カ所でレコーディングしたんだけど、ロサンゼルスでレコーディングしている時があって、僕は喉頭炎になってしまって声が出なくなった。そこでかかりつけの医師に電話したら、今大事なのは声を使わないことだ、と言われた。君は永遠に喋り続けることができて、喋ることをやめないのを知っているから、今日一日は一人で過ごして誰とも話さないようにしなさい、と言われた。そこで大好きな本屋に行くことにした。本屋では僕は喋らないからね。あとレコード屋でも。その場所では僕は永遠に調べているから。僕は本に囲まれているのが本当に好きなんだ。近場の本屋に行っていろいろなアート本を見ていた。すると、聞いたこともない、全く知らないドイツ語の本が──僕はタイトルも読めないし、作者のプロフィールも読めない──その本はモノグラフだったので、主に画像だった。だけど、その画像の説明や、木炭画や水彩画、油絵と言った表現手段も全てドイツ語だから僕には読めない。とにかく、その本が棚から落ちて、その時に開かれたページが、最終的にアルバムのアートワークになった絵だったんだ。これは本当の話だよ。同じことが起こったのは、アルバム『Halcyon Digest』の時で、地元のリサイクルショップで見つけた本を僕が持っていて家の本棚に置いてあったんだけど、本棚のホコリ拭きをしている最中にその本が棚から落ちたんだ。僕の周りでは、本が勝手に本棚から落ちて、特定のページを開く。実際には2度しか起こっていないことだけど。36年間で2度起こり、その両方とも結果としてアルバムのアートワークになった。両方とも、本が落ちて、あるページを開き、僕は、それをアルバムのアートワークにした。僕はそういう示唆のようなものを受け入れるようにしていて、そういう偶然が起こると、他の人よりも、それに対して興味を抱くんだと思う。僕は(新作のアートワークに使った)ピーター・アッカーマンの作品を、本が偶然落ちたことにより知った。この絵は何だろう? と思った。その説明が読めなかったことが、それをさらに不可解にしていた。日本の本を見ていてもそういう気持ちになることが多い。僕は日本の古いデザインに関する本を集めているんだ。特に、1920年代から1930年代のアール・デコ時代のもの。その当時の日本には、素晴らしいグラフィックデザインがたくさんあった。僕はドラッグを一切やらない。ドラッグにお金をかけるのではなくて、本にお金を費やす。こういうレアな日本のグラフィックデザインの本は、どのドラッグよりも高くつく! 僕には読めないんだけどね。何が書いてあるか全く分からないんだけど、その分より興味深くなる。その分、不可解になる。まるで、未来から来た訪問者が、いまいち理解できない、他の時代の、他の文明を見ているような。象形文字を読めないからね。そこに本当に何が書いてあるのかは分からない。
──すごいエピソードですね!
長くなってごめんね。短くできると良いんだけど。でも全部本当なんだよ! だから編集できないんだ。
──本作のギターはアンプを通さず直接ミキサーに繋がれたということですが、アルバムのコンセプトとはどんな関係があるのでしょう?
僕はこの方法でレコーディングすることが多い。僕の耳に心地よく響くから。僕はリバーブがあまり好きじゃない。リバーブを使う時は、ちゃんとした目的がある時に使いたい。源になるべく近い形で楽器を弾くことに魅力を感じる。ギターをレコード・プレイヤーに直接繋げる。その概念が好きなんだ。エレクトロニックなロック音楽というのは全て電圧を出している。壁から出ている電気を出しているということなんだ。アンプなどの機材はその電気を調整して、耳に聴こえやすい音にしている。歴史的に試行錯誤した結果、耳に心地よいとされている音にね。ギターを直で繋ぐと、とても冷たい音がする。その音が出したかった。
──本作ではウェールズのミュージシャン、ケイト・ル・ボンが共同プロデュースを務めていますが、彼女とは昨年の4月にテキサスのマーファで開催されたフェスティバルで共演していますよね? 本作もその時にレコーディングされたのでしょうか? 彼女にプロデュースを依頼することになったきっかけと、実際に作業してみた感想を教えてください。
ケイトは僕の妹なのさ。血の繋がりはないけど、精神的な繋がりがある。彼女のことは直感的に信頼できる。とても仲良くできるし。彼女とはもう何年も前から友達だ。僕は彼女の活動を尊敬していたから僕から連絡を取った。そうやって出会って、仲良くなった。こう毎回、意気投合することはないんだけどね。尊敬するアーティストに実際に出会うと、自分の期待とは違っていたりすることもある。でも、彼女とは即座に友情が芽生えた。それで友情関係がしばらく続いていたんだけど、彼女がテキサスのマーファで行われる、マーファ・ミスというフェスティバルのアーティスト&レジデンシー・プログラムのキュレーションを務める役に選ばれた。ケイトが、自分が選んだアーティストたちと一緒に5日間かけてアルバムをレコーディングするという企画だった。事前の作曲は一切せず、即興のアルバムを5日間で作る。同じ時期に僕はディアハンターのアルバムの制作準備に取り掛かっていたから、この体験を合わせて、5日間以上の期間にして、テキサスでディアハンターのアルバムもレコーディングしようということになった。だから彼女と一緒にアルバムを制作することになった。元からテキサスで僕と彼女は共演して、その時の経験がとても素晴らしかったから。テキサスでレコーディングするなんて全く想像していなかったけど、とても特別な所だった。人類文明後の、未来の世界のような感じがして、人間の名残があまりないような所だった。とても空っぽな感じ。都市から離れているというか、田舎の風景という意味でね。丘や草原がある。草原は僕に、未来の地球の姿を想像させる。
──今回のアルバムにも「Plains(草原)」という曲がありますものね。
そうなんだ。でも皮肉なことに、あの曲は、草原に行ったことがない時に書かれた曲だった。“Plains”という言葉がなぜか思い浮かんで書いただけだったんだ。今となっては、すべて合致する。曲はジェームズ・ディーンについて歌っているんだけど、僕たちがマーファに行った時、人々はこう教えてくれた。「ジェームズ・ディーンはここで最後の映画を撮って亡くなったんだよ」と。それを聞いた時、一体どうなってるんだ!? と思ったよ。奇妙な話だろ? 偶然って不思議だよね? でも、そういう時は、物事が正しい方向に行っているということなんだ。正しい方向に行っていない時は、そういう偶然は起こらない。自分が主導権を握っているから。けど正しい方向に行っている時は、自分でコントロールするのをやめる。すると、物事が勝手に動き出して、上手く回り出す。
──あなたは愛犬の名前はミシシッピ生まれの作家に由来する“ウィリアム・フォークナー”だそうですが…。
今、彼は僕の足の上で寝ているよ。でも小さい犬じゃないから、彼が寝ている時は結構辛いんだよ(笑)。80ポンドもあるからね。僕の足を枕にするから、僕の足は、彼の巨大な頭と垂れ耳と可愛いボディのせいで毎晩痺れている。
──何の種類の犬なんですか?
「Snake Skin」のビデオに出ているよ。雑種なんだけど、僕たちはリス犬と呼んでいる。リスを追い回すのが好きだから。ハウンド犬の一種だからね。リスを追い回すけど、殺したりはしない。木の上まで追いやるのが好きなだけだ。木に登ってリスを追いかけたいんだけど、犬だから木に登れない。だから木の下にいて、木を見上げている。
──前作以降、アーティスト写真やメンバーの服装も、アメリカ南部っぽい雰囲気になってきていると思います。ジョージア州アトランタという自分たちの出自を意識したりしますか?
そうかい? 全くそんなことは意識していなかったよ。南部っぽい雰囲気というのがどんなものかよく分からないから興味深いなあ。自分の見た目について知りたい時は、知り合いに聞くのではなく、自分のことを知らない人に聞くのが一番だからね。そうすると、自分が本当に他人の目にどのように映っているのかが分かる。自分のことを知っている人は、似たようなファッションやスタイルを参考にしているからね。だから僕に「京都の人と、大阪の人を比べると、どんな格好をしていますか?」と聞いたら、大阪の人の方が、騒がしい格好をしているのではないか、と僕は答えるね。もっとパンクでロックンロールな感じ。大阪にはとてもロックンロールな感じがあると思う。京都はとてもアカデミックで、哲学者や経済学者などが多いイメージ。東京は、ニューヨーク・シティやロサンゼルス、ロンドンみたいなコスモポリタンな雰囲気がある。僕の憶測は全く合っていないかもしれないから興味深いよね。東京には50年代のロカビリーがいるかもしれない。とにかく、僕はただ色を選ぶのが好きなんだ。『Monomania』の時は白黒の模様を参考にした。それも実は、東京で買った、日本の模様の本から発想を得たんだ。日本には、グラフィックスや色や様々な模様についての素晴らしい本がたくさんあるから最高だよ。色の組み合わせについての本とか。だから僕の家にはそういう本がたくさんある。今もここに一冊あるけど、タイトルは読めないから分からない。セイゲンシャ(青幻舎?)が出版している。日本での色についての考え方が書いてある、素晴らしい本だ。とにかく、僕が写真で着ている服は、むしろ、日本からの影響が強いと思うよ。これは、日本の人と今、話しているからそう言っているというわけではないよ! 僕が初めてアメリカの服に興味を持ったのは、日本人の観点からそれを見た時だった。子供の頃の僕は、アメリカンなファッションは、迷惑でひどいものだと思っていた。だけど日本に行った時、ラルフローレンの古着などが売られているのを見た。アメリカでラルフローレンは、ブルジョワの金持ちが着る服だと思われている。そういうのは嫌い。世界では苦しんでいる人がたくさんいるのに、金持ち用の服を着るなんて横暴だと思う。だからそういうのは避けてきた。だけど、日本に行ったら、そこまでお金持ちではない人たちが、ラルフローレンの品質の良さや素材の良さを気に入って中古で購入している。その考えが分かってから、そういうファッションのありがたみを理解できるようになった。この南部っぽいと言われる格好もね。でも最近はまた嗜好が変わってきて、ヨーロッパのデザイナーの服などが好きになってきているよ。