初のツアー『魔法学区』を終えた長谷川白紙
ライブレポートが到着!
Photo by Yukitaka Amemiya
長谷川白紙のパフォーマンスは音楽を飛びこえようとしていた。音楽といっても色々あるけれど、特にポップミュージックという狭い枠組みは。本人の目論見がどうであれ、ライブの感想を不便な言葉という形で、しかも一言だけで述べようとしたら、とにかくそういうものだった。
ある程度決められたルールの範囲内で音を重ね連ねていく和声/旋律や、繰り返し反復するビートやその組み合わせ/ずれによって生みだされるリズム&グルーヴ。そういった心地よく守旧的な約束ごとは、「魔法学区」域内ではあらかじめほとんど放棄されていた。いや、"放棄されていた"というのはちがうかもしれない。音楽を成り立たせる約束事のひとつひとつを過剰に、重層的に敷き詰めた結果、網目が見えなくなって、漏れ出たものを含めて一緒くたになり、何か一個の塊と化していたというか。あるいは、それらを微細に粉砕して、撒き散らしていたというか。
でも、そこで鳴らされていた("演奏されていた"という言いかたよりも、こちらのほうが適当だと思う)のは、それでも確実にポップミュージックだった。ノイズであり、ポップミュージックでもあった。非音楽であり、音楽でもあった。音であり、歌だった。「わたしをみて」の後半、ドラムの打音が塗りこめられることによって点は線になり、棒状のノイズになったように。あらゆる境界線が曖昧にされ、そのうえで複層化されていた。そういう音に曝されたオーディエンスは、ノリかたも反応のしかたもバラバラだった。あれはなんだったのだろう?
長谷川白紙が7月24日にブレインフィーダーからリリースしたアルバム『魔法学校』。それに伴うツアー「HAKUSHI HASEGAWA First tour 2024 魔法学区」の最終公演。開催日は10月25日。開演時間は19時。会場は東京・恵比寿のLIQUIDROOM。ゲストとして出演したのはKID FRESINO。そうやって客観的な記述をしてみても、長谷川白紙のパフォーマンスを前にして"情報"はなすすべがなく、ふにゃっと溶けだしてしまう。
会場の入口にはど派手で巨大なバルーンと花が置かれていて、ひじょうに目立っていた。「これ、なんなんだろう?」と不思議に思っていたところ、有志のファンによる贈り物だったことをあとで知った(
https://x.com/ctctc1131/status/1849743538994676054/)。長谷川白紙とファンとの結びつきを物語るエピソードだと思う。
開演前のLIQUIDROOMはフロアへ降りる余地がないほどに超満員だった。BGMとしてシンゲリの曲など、長谷川白紙が近年のインタビューで影響を公言していた音楽がかかっている(終演後にimdkmと話したところ、エレクトリック・マイルスの曲もかかっていたという。たしかに「魔法学区」での体験は、あの奇妙で混沌とした『Miles Davis at Fillmore』などを聴くことに近かった)。
19時。ジェームス・ブラウンの「Give It Up or Turnit a Loose」が場内に響いていたところへ、長谷川白紙が上手からすっと現れるやいなや……そこにはノイズの壁があった。ノイズの壁の中に歌と旋律とリズムがあった。「長谷川白紙です。よろしくお願いします」。録音された音声が再生される。キーボードとラップトップとマイクスタンドしかない簡素な舞台の上、長谷川白紙はハンドマイクで左右にふわふわと行ったり来たりしながら歌う。
録音・記録されたもの=レコードをうまく再現することなんて、「魔法学区」では端から目指されていなかった。むしろ、そういうことは積極的に避けられており、多くの曲が原型を留めていなかった。先日のDOMMUNEの特番でのパフォーマンスでもその片鱗を見せていたが、多くの曲はテンポが速められている。"あらかじめ決められたことを回避をすること"が、たぶん唯一のルールだった。予定調和の最たるものであるアンコールはなく、ライブは80分強ですぱっと潔く終えられたことも始めに言っておきたい(もちろん終演後、オーディエンスはずいぶん長いことアンコールを求めていたけれど)。
長谷川白紙は派手なアクションはしないものの、ライブの序盤、noir kei ninomiyaのショーに提供したvalkneeとの共演曲(これも、ソフィーやチャーリー・XCXの曲のような華美でインダストリアルなリアレンジが施されていて圧巻だった)に差しかかったあたりからは、ダンスをするような身振りをした。ダンス? いや、揺れるというか、音に揺らされている、音へ自ら圧倒されている、積極的に身を委ねている、そんな動きだった。終盤では左手を高く挙げる姿すら見せた。
キーボードに触れることが少なかったのは意外だった。だからこそ、「口の花火」でまるでギターを弾くかのように掻きむしったオルガンソロのひずみ、「霊位」でのエレクトリックピアノと歌の演奏のシンプルさ、テンポを伸び縮みさせた「草木」におけるピアノソロの激しさなどが余計に際立っていた。“恐怖の星”などでの声の力強いゆがませかたも、長谷川白紙の新しい表現、エモーションの発露として強烈な印象を残した。
「立ち止まっている時間なんてないんです」とでも言うかのように、長谷川白紙のパフォーマンスはDJミックスのように曲間の切れめなく突き進む。時折、シンゲリやフットワークやガバやブレイクビートなどが渾然一体になったビートで接着しながら、ノイズを帯びた曲が連ねられていく。ステージは飾り気がないとはいえ、背後のbondbondや杉山峻輔らによる映像、そして本池匡弘によるライティングは連続する曲に対して完璧に同期しており、陳腐な言いかたになるが、とてもドラマティックだった。弾け飛ぶ光の粒子、ジェリービーンズのようなカラフルな画(かわいらしいボサノバに変形したパソコン音楽クラブとの「hikari」の演奏中)、うねる炎の図、バーライトが置かれた坑道の中のような映像……。一方で長谷川白紙の姿は、フロアに向けて発光するスクリーンとライトによって、noir kei ninomiyaの衣装を纏ったシルエット以外はほとんど見えなかった。
まちがいなくハイライトは後半の「草木」、そしてKID FRESINOがふらりと現れ、立ちこめるノイズの煙波に対してキレのあるラップを吐きだした“行つてしまつた”だった。そして、“JUDGE ME IF YOU CAN”の文字を大きくスクリーンに映したあと、"重要な曲"と表現するだけでは済まされない「外」を切々と歌いあげる姿に、その場にいた誰もが感情を強く揺さぶられたことだろう。
なお今回のツアーのセットリストは、本人の意向で発表されないという。そもそもセットリストを眺めてみたところで、「魔法学区」で鳴っていた音は想像しようがない。テンポが半分になったり倍になったりして、ぐにゃぐにゃと変態していく生き物のようだった“悪魔”のパフォーマンスは記録に定着されえない。
長谷川白紙のパフォーマンスは音楽を飛びこえ、追いこそうとしていた。速くて、うるさくて、なおかつエモーショナルなやりかたで。その試行が一塊の音になって、「魔法学区」では鳴らされていた。その様は実に圧倒的で、感動的だった。
text by 天野龍太郎
初のツアー『魔法学区』を終えた長谷川白紙
Photo by Yukitaka Amemiyaライブレポートが到着!
長谷川白紙のパフォーマンスは音楽を飛びこえようとしていた。音楽といっても色々あるけれど、特にポップミュージックという狭い枠組みは。本人の目論見がどうであれ、ライブの感想を不便な言葉という形で、しかも一言だけで述べようとしたら、とにかくそういうものだった。
ある程度決められたルールの範囲内で音を重ね連ねていく和声/旋律や、繰り返し反復するビートやその組み合わせ/ずれによって生みだされるリズム&グルーヴ。そういった心地よく守旧的な約束ごとは、「魔法学区」域内ではあらかじめほとんど放棄されていた。いや、"放棄されていた"というのはちがうかもしれない。音楽を成り立たせる約束事のひとつひとつを過剰に、重層的に敷き詰めた結果、網目が見えなくなって、漏れ出たものを含めて一緒くたになり、何か一個の塊と化していたというか。あるいは、それらを微細に粉砕して、撒き散らしていたというか。
でも、そこで鳴らされていた("演奏されていた"という言いかたよりも、こちらのほうが適当だと思う)のは、それでも確実にポップミュージックだった。ノイズであり、ポップミュージックでもあった。非音楽であり、音楽でもあった。音であり、歌だった。「わたしをみて」の後半、ドラムの打音が塗りこめられることによって点は線になり、棒状のノイズになったように。あらゆる境界線が曖昧にされ、そのうえで複層化されていた。そういう音に曝されたオーディエンスは、ノリかたも反応のしかたもバラバラだった。あれはなんだったのだろう?
長谷川白紙が7月24日にブレインフィーダーからリリースしたアルバム『魔法学校』。それに伴うツアー「HAKUSHI HASEGAWA First tour 2024 魔法学区」の最終公演。開催日は10月25日。開演時間は19時。会場は東京・恵比寿のLIQUIDROOM。ゲストとして出演したのはKID FRESINO。そうやって客観的な記述をしてみても、長谷川白紙のパフォーマンスを前にして"情報"はなすすべがなく、ふにゃっと溶けだしてしまう。
会場の入口にはど派手で巨大なバルーンと花が置かれていて、ひじょうに目立っていた。「これ、なんなんだろう?」と不思議に思っていたところ、有志のファンによる贈り物だったことをあとで知った(https://x.com/ctctc1131/status/1849743538994676054/)。長谷川白紙とファンとの結びつきを物語るエピソードだと思う。
開演前のLIQUIDROOMはフロアへ降りる余地がないほどに超満員だった。BGMとしてシンゲリの曲など、長谷川白紙が近年のインタビューで影響を公言していた音楽がかかっている(終演後にimdkmと話したところ、エレクトリック・マイルスの曲もかかっていたという。たしかに「魔法学区」での体験は、あの奇妙で混沌とした『Miles Davis at Fillmore』などを聴くことに近かった)。
19時。ジェームス・ブラウンの「Give It Up or Turnit a Loose」が場内に響いていたところへ、長谷川白紙が上手からすっと現れるやいなや……そこにはノイズの壁があった。ノイズの壁の中に歌と旋律とリズムがあった。「長谷川白紙です。よろしくお願いします」。録音された音声が再生される。キーボードとラップトップとマイクスタンドしかない簡素な舞台の上、長谷川白紙はハンドマイクで左右にふわふわと行ったり来たりしながら歌う。
録音・記録されたもの=レコードをうまく再現することなんて、「魔法学区」では端から目指されていなかった。むしろ、そういうことは積極的に避けられており、多くの曲が原型を留めていなかった。先日のDOMMUNEの特番でのパフォーマンスでもその片鱗を見せていたが、多くの曲はテンポが速められている。"あらかじめ決められたことを回避をすること"が、たぶん唯一のルールだった。予定調和の最たるものであるアンコールはなく、ライブは80分強ですぱっと潔く終えられたことも始めに言っておきたい(もちろん終演後、オーディエンスはずいぶん長いことアンコールを求めていたけれど)。
長谷川白紙は派手なアクションはしないものの、ライブの序盤、noir kei ninomiyaのショーに提供したvalkneeとの共演曲(これも、ソフィーやチャーリー・XCXの曲のような華美でインダストリアルなリアレンジが施されていて圧巻だった)に差しかかったあたりからは、ダンスをするような身振りをした。ダンス? いや、揺れるというか、音に揺らされている、音へ自ら圧倒されている、積極的に身を委ねている、そんな動きだった。終盤では左手を高く挙げる姿すら見せた。
キーボードに触れることが少なかったのは意外だった。だからこそ、「口の花火」でまるでギターを弾くかのように掻きむしったオルガンソロのひずみ、「霊位」でのエレクトリックピアノと歌の演奏のシンプルさ、テンポを伸び縮みさせた「草木」におけるピアノソロの激しさなどが余計に際立っていた。“恐怖の星”などでの声の力強いゆがませかたも、長谷川白紙の新しい表現、エモーションの発露として強烈な印象を残した。
「立ち止まっている時間なんてないんです」とでも言うかのように、長谷川白紙のパフォーマンスはDJミックスのように曲間の切れめなく突き進む。時折、シンゲリやフットワークやガバやブレイクビートなどが渾然一体になったビートで接着しながら、ノイズを帯びた曲が連ねられていく。ステージは飾り気がないとはいえ、背後のbondbondや杉山峻輔らによる映像、そして本池匡弘によるライティングは連続する曲に対して完璧に同期しており、陳腐な言いかたになるが、とてもドラマティックだった。弾け飛ぶ光の粒子、ジェリービーンズのようなカラフルな画(かわいらしいボサノバに変形したパソコン音楽クラブとの「hikari」の演奏中)、うねる炎の図、バーライトが置かれた坑道の中のような映像……。一方で長谷川白紙の姿は、フロアに向けて発光するスクリーンとライトによって、noir kei ninomiyaの衣装を纏ったシルエット以外はほとんど見えなかった。
まちがいなくハイライトは後半の「草木」、そしてKID FRESINOがふらりと現れ、立ちこめるノイズの煙波に対してキレのあるラップを吐きだした“行つてしまつた”だった。そして、“JUDGE ME IF YOU CAN”の文字を大きくスクリーンに映したあと、"重要な曲"と表現するだけでは済まされない「外」を切々と歌いあげる姿に、その場にいた誰もが感情を強く揺さぶられたことだろう。
なお今回のツアーのセットリストは、本人の意向で発表されないという。そもそもセットリストを眺めてみたところで、「魔法学区」で鳴っていた音は想像しようがない。テンポが半分になったり倍になったりして、ぐにゃぐにゃと変態していく生き物のようだった“悪魔”のパフォーマンスは記録に定着されえない。
長谷川白紙のパフォーマンスは音楽を飛びこえ、追いこそうとしていた。速くて、うるさくて、なおかつエモーショナルなやりかたで。その試行が一塊の音になって、「魔法学区」では鳴らされていた。その様は実に圧倒的で、感動的だった。
text by 天野龍太郎