ステートメント:
「Passion」という言葉は「情熱」や「熱情」と翻訳されているが、元々は「受け入れること」、キリスト教では「受難」とされている。中世で「情熱」という意味が加わったようだが、「受け入れる」強い気持ちと考えると、二つの意味は繋がる。
十代の頃に音楽家になることを決意したとき、音楽が好きという気持ちとともに、これから自分の人生で起こることに対する苦難――当時はまだ悩み、苦しむ音楽家に憧れがあっただけにすぎないかもしれないが――を受け入れることを覚悟したのを覚えている。
本アルバムには十六歳のときに作曲したピアノ曲もほぼそのまま収録している(Tr7「Inscape」)。二十年経って、今一度音楽家としての覚悟を決める。これから訪れるであろう幸せも苦難も、すべてを受け入れる強い気持ち(=PASSION)を込めてこのタイトルをアルバムにつけた。
また何年か前に、マドリード在住の写真家イザベル・ムニョス(Isabel Munôs)が別れ際に「A lot of Happiness. Good Luck and Passion!」と言った。そのとき彼女の口から出た「Passion」という言葉が強く胸に響いた。
音楽的な挑戦としては、前作《Landscape in Portrait》よりもピアノの音域を広げること、他者が録音したフィールドレコーディングを使ってみること、非西洋楽器を電子音とともに「音響的に」共存させることである。音楽的な西洋と東洋、中東の融合や統合を目指しているのではない。それぞれの地域に住む人々が同じく朝を迎え、太陽の恩恵を受け、食事をし、夜になると月や星を見ること。人間としての共通の出来事を経験しながらも、それぞれの文化(=音)が現れ、それが同じ地球上で鳴っているように、限られた時間の中で音響的に配置、共存させてみたいと思った。
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彼が以前言った"Listening is Our Traditional."(聴くことはもう伝統になっている)がとても印象的で今もよく思い出します。音を想像しながら譜面に音符を記していくのではなく、常に音を流して聴きながら、整えていく。現代の作曲法では当たり前のことですが、その当たり前を"Tradition"として捉えることでさらに「聴くこと」について意識的になれるような気がします。
余談ですが、彼が教えてくれた「最も普段使わないであろう(でも誰でも知っている?)フランス語単語」が"Joint de culasse"(ジョワン・ドゥ・キュラス)でした。車の部品ですが、フランス語圏の人にこの話をするといつも爆笑してもらえます。
印象は新しい記憶と結びつき、上書きされていきます。最近この曲を聴くと、シンガポールの雨上がり、そこで飲んだ甘いカフェ・ラテとBooksActuallyという本屋で出会った本 「’OTHERS' IS NOT A RACE」(Melissa De Silva著)が思い出されます。みなさんはどんな「雨上がり」をイメージされるでしょうか。
いつかクラシックギターソロで演奏してもらいたいと思っています。
7. Inscape
16歳の時に作曲した曲です。ほぼ手を加えていません。当時は音大を目指して作曲の勉強に励んでいました。和声(コード理論)を習い、三部形式やソナタ形式といった習作を描いていました。この曲は学習とは別に自由に書いたもので、一番最初の和音、コードでいうと「C on E」の響きに導かれて一気に8小節書いたのを覚えています。
アルド・レオポルド『野生のうたが聞こえる』(原題: A Sand Country Almanac)に収録されている同名エッセイにインスパイアされて作りました。レオポルドが観察していた1937年世代の7羽のコゲラのうち、3回冬を越して戻ってきたのはわずか2羽。5回冬を越したのはたった1羽。それが「65290」という識別番号を持ったコゲラでした。小さな体で過酷な冬を何度も越えるその強さと可愛らしさに心打たれて、いつかきっとこのタイトルの曲を作ろうと思っていました。
この3曲は連作といってもよいかもしれません。フランスの劇作家ポール・クローデルが書いた長大な戯曲『繻子の靴』(原題: Le Soulier du Satin)の音楽を担当し、そのときの断片をもとに再構築しました。演出と翻訳はフランス文学の権威である渡邊守章先生です。上演するとなんと8時間。渡邊先生との協働作業は、解説がとにかく面白いのです。膨大な台詞のあるこの芝居には古今東西さまざまな要素、パロディが埋め込まれており、場面はヨーロッパから中央アジア、南米、日本に至るまで世界中を駆け巡ります。作曲するにあたってのイメージは、言語による宇宙、地球上の大陸、そして海です。
「Farmer In The City」はアルバム《Tilt》に収録されている曲で、積極的にスコットを聴き始めたアルバムです。あれだけのスター性を持ちながら独自の音楽を追究した彼の音楽性に影響されずにはいられません。ドキュメンタリー映画では、アルバム完成前に「これで一生もう聴くことはないから、もう一度聴かせてくれ。」とスタジオで言う彼が印象的でした。スコットは亡くなってしまいましたが、20世紀末に書かれたこの歌はまだ私の中で「21, 21...」と響いています。彼に対するリスペクトと不在の響きをコンセプトにカバーしました。ただし、これはまだプロトタイプです。いつかまた彼のカバーに挑戦したいと思っています。
原 摩利彦3年ぶりのソロアルバム『PASSION』のリリースにあたり、原本人による全曲エッセイが公開となった。
Marihiko Hara "PASSION"
https://song.link/marihikohara
アルバム《PASSION》全曲によせる小文
最新アルバム《PASSION》がリリースされました。全曲を聴いて、思い出すこと、連想することなどを書きます。解説までには至らないのですが、アルバムの楽しみ方が増えればと思います。
1. Passion
このステートメントは昨年8月にデモとともにレーベルに送ったものでした。それから半年以上が経ち、私生活も世界もがらりと変わってしまいました。
ステートメント:
「Passion」という言葉は「情熱」や「熱情」と翻訳されているが、元々は「受け入れること」、キリスト教では「受難」とされている。中世で「情熱」という意味が加わったようだが、「受け入れる」強い気持ちと考えると、二つの意味は繋がる。
十代の頃に音楽家になることを決意したとき、音楽が好きという気持ちとともに、これから自分の人生で起こることに対する苦難――当時はまだ悩み、苦しむ音楽家に憧れがあっただけにすぎないかもしれないが――を受け入れることを覚悟したのを覚えている。
本アルバムには十六歳のときに作曲したピアノ曲もほぼそのまま収録している(Tr7「Inscape」)。二十年経って、今一度音楽家としての覚悟を決める。これから訪れるであろう幸せも苦難も、すべてを受け入れる強い気持ち(=PASSION)を込めてこのタイトルをアルバムにつけた。
また何年か前に、マドリード在住の写真家イザベル・ムニョス(Isabel Munôs)が別れ際に「A lot of Happiness. Good Luck and Passion!」と言った。そのとき彼女の口から出た「Passion」という言葉が強く胸に響いた。
音楽的な挑戦としては、前作《Landscape in Portrait》よりもピアノの音域を広げること、他者が録音したフィールドレコーディングを使ってみること、非西洋楽器を電子音とともに「音響的に」共存させることである。音楽的な西洋と東洋、中東の融合や統合を目指しているのではない。それぞれの地域に住む人々が同じく朝を迎え、太陽の恩恵を受け、食事をし、夜になると月や星を見ること。人間としての共通の出来事を経験しながらも、それぞれの文化(=音)が現れ、それが同じ地球上で鳴っているように、限られた時間の中で音響的に配置、共存させてみたいと思った。
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このアルバムには、情熱と受難、西洋と非西洋楽器、旋律リズムのあるピアノ曲と電子音響の抽象的な曲、といったように二面性(しかしそれらはつながっている)をテーマにしています。ミュージックビデオでは森山未來さんが新たな二面性を取り入れてくれました。翁(おきな)のアイディアは未來さんによるものです。
2. Fontana
「泉」という意味。自分の音楽への情熱は燃えあがる炎というよりは、地下深くに静かに、だけれども絶えず流れ続けている水脈といった方がしっくりきます。そこから音楽(=水)をゆっくり汲み上げていくようなイメージです。
冒頭から入ってくる音は雅楽の笙。演奏は井原季子さんです。2018年NODA・MAP『贋作 桜の森の満開の下』の音楽を担当した際に知り合いました。雅楽の古典、六調子の一つ盤渉調をもとに即興演奏をしてもらっています。盤渉調は冬の調子とも言われています。全体的にひんやりとした曲になったのはそのためでかもしれません。
3. Midi
ブリュッセル在住の作曲家シルヴァン・ショヴォのフィールドレコーディングを使っています。彼は「聴く」ということを追い求めている作曲家で、静謐でありながらラディカルな作品を発表し続けています。彼が録る音に興味があり、お願いしました。いくつか届いたファイルはいずれもとても「音楽的」、すなわち音楽の中に溶け込んでいく録音でした。
彼が以前言った"Listening is Our Traditional."(聴くことはもう伝統になっている)がとても印象的で今もよく思い出します。音を想像しながら譜面に音符を記していくのではなく、常に音を流して聴きながら、整えていく。現代の作曲法では当たり前のことですが、その当たり前を"Tradition"として捉えることでさらに「聴くこと」について意識的になれるような気がします。
余談ですが、彼が教えてくれた「最も普段使わないであろう(でも誰でも知っている?)フランス語単語」が"Joint de culasse"(ジョワン・ドゥ・キュラス)でした。車の部品ですが、フランス語圏の人にこの話をするといつも爆笑してもらえます。
4. Desierto
このピアノ即興テイクは芦屋市立美術博物館で録音したものです。2017年に《Copyright#1: Showcase》というガラスケースの中で音を展示する(ケースの中で音が鳴っている )作品を発表した際、合間の時間にピアノを少し弾かせてもらいました。今年も新作をこの美術館で発表する予定です。
フィールドレコーディングはメキシコのサウンドエンジニアのホエルがメキシコの砂漠で録音したもの。映画のサウンドデザイナーを本業としているので淡々としたフィールドレコーディングのような気がします。ホエルとはダミアン・ジャレ『Omphalos(オンファロス)』初演のときにメキシコシティの国立劇場で知り合いました。日本人単身一人での初めての海外クリエーションでドキドキしてましたが、彼と打ち解けあい、メスカル(メキシコの強いお酒)や地元の安くて美味しいお店を教えてもらいました。お互いを「バディ」と呼び合い、今でも頻繁に連絡を取り合っています。
5. Nocturne
ピアノの白鍵を押さえる手の形をそのまま平行移動させてできたテーマ。手から生まれた曲です。何の制限もなく書きたいままに筆を進めていきました。途中、転調しますが、全編を通して同じリズムが繰り返されます。
「夜想曲(ノクターン)」を最初に書いたといわれるアイルランドの作曲家ジョン・フィールドは、後述するムツィオ・クレメンティに学んでいたそうで、こういう小さな発見は嬉しいものです。
6. After Rain
印象は新しい記憶と結びつき、上書きされていきます。最近この曲を聴くと、シンガポールの雨上がり、そこで飲んだ甘いカフェ・ラテとBooksActuallyという本屋で出会った本 「’OTHERS' IS NOT A RACE」(Melissa De Silva著)が思い出されます。みなさんはどんな「雨上がり」をイメージされるでしょうか。
いつかクラシックギターソロで演奏してもらいたいと思っています。
7. Inscape
16歳の時に作曲した曲です。ほぼ手を加えていません。当時は音大を目指して作曲の勉強に励んでいました。和声(コード理論)を習い、三部形式やソナタ形式といった習作を描いていました。この曲は学習とは別に自由に書いたもので、一番最初の和音、コードでいうと「C on E」の響きに導かれて一気に8小節書いたのを覚えています。
この頃、猫が家にやってきました。山に捨てられていた子猫を拾った知人から譲り受けたのです。ちょびヒゲのような黒斑のある、黒と白の日本猫。その配色から僕は「ピアノ」、野鳥観察に熱中していた弟はツバメのラテン語名より「アプス」、食べものの名前をつけたら長生きするという俗説(?)から母は「トマト」と案を出し、結局、「Piano Apus Tomato」という長い名前になりました。通称は「ピア」。
あれから20年経ちますが、彼女はまだ母と暮らしています。この曲を弾くと10代の頃の「inscape」(心象風景)が浮かび、その中にはいつもピアがいます。
8. Desire
本作ではピアノをエンジニアzAkさんのスタジオで録音しましたが、何曲かは実家にあるピアノを録音しました。このピアノの鍵盤は少し重たく、つるっとしていて、手を置くと気持ちよく、とても落ち着きます。マイクを2本、鍵盤側からピアノの中に向けます。そうすると高い音は少し右寄りに、低い音は左寄りに聞こえ、弾いているときに聴いている音と近くなるのです。何十年もこのピアノを弾いてきたので、このようなマイキングにたどり着きました。
9. 65290
アルド・レオポルド『野生のうたが聞こえる』(原題: A Sand Country Almanac)に収録されている同名エッセイにインスパイアされて作りました。レオポルドが観察していた1937年世代の7羽のコゲラのうち、3回冬を越して戻ってきたのはわずか2羽。5回冬を越したのはたった1羽。それが「65290」という識別番号を持ったコゲラでした。小さな体で過酷な冬を何度も越えるその強さと可愛らしさに心打たれて、いつかきっとこのタイトルの曲を作ろうと思っていました。
10. Vibe
2013年から京都で毎年開催されている国際写真祭KYOTOGRAPHIEは春の大きな楽しみです(今年は延期)。このフェスティバルの特徴は京都新聞社ビル地下の印刷所跡など普段非公開の場所を含む京都の至る所で、先鋭的な展示が展開されることです。
毎年、テーマ曲を担当しており、前作《Landscape in Portrait》の1曲目「Circle of Life」も2016年のテーマでした。2019年は「Vibe」。テーマ曲以外にも写真家ラファエル・ダラポルタのインスタレーションの音楽も担当したり、深く関わっています。
昨年はアソシエイトプログラムで《Wind Eye 1968》という写真と音の展示を開催しました。亡き祖父母が1968年に行った海外旅行の写真と8mmフィルムの音のない記録と、近年私が旅をして録りためた音の記録を展覧会場で交差させるといった内容でした。「Wind Eye」というのは「窓(Window)」の古英語です。小さい頃、祖母にリビングの壁にスライドを投影して見せてもらい、こんな世界があるんだなぁと思っていました。振り返るとそれは世界への窓のようだと思い、このタイトルをつけました。アルバムジャケットの写真は祖母がハワイで撮影した祖父です。
「Vibe」の途中1:10あたりからの部分はこの展示のサウンドトラックです。ライカのカメラはまだ残っていて、いつか修理をして写真を撮ってみたいと思っています。
参考エッセイ:
- 「音の質感」
- 「まっすぐに伝わるもの」
11. Landkarte
冒頭の音は笙のピッチを下げたものです。オルガンのように聞こえるのは、笙の構造がパイプオルガンなどと似ているからでしょうか。タイトルはドイツ語で地図という意味。舞台や展覧会、ファッションショーなどいろいろなプロジェクトに参加していると、それぞれの現場の時間感覚、言葉遣いが異なることに気付きます。そこで学んだことを自分の部屋(ソロ作品)で書き記す。それは独自の地図を作っていく行為のようだと思いました。この曲には笙とサントゥール、ピアノが入っていますが、まさに地図を描いているような感覚でした。
12. Stella
13. Meridian
14. Confession
この3曲は連作といってもよいかもしれません。フランスの劇作家ポール・クローデルが書いた長大な戯曲『繻子の靴』(原題: Le Soulier du Satin)の音楽を担当し、そのときの断片をもとに再構築しました。演出と翻訳はフランス文学の権威である渡邊守章先生です。上演するとなんと8時間。渡邊先生との協働作業は、解説がとにかく面白いのです。膨大な台詞のあるこの芝居には古今東西さまざまな要素、パロディが埋め込まれており、場面はヨーロッパから中央アジア、南米、日本に至るまで世界中を駆け巡ります。作曲するにあたってのイメージは、言語による宇宙、地球上の大陸、そして海です。
この舞台で能楽笛方、藤田流十一世宗家の故藤田六郎兵衛先生と共演できたことは貴重な経験となりました。「二重の影」という場面では、あらかじめ録音しておいた六郎兵衛先生の笛の逆再生とともに生演奏する、いわば自分の影と共演するという提案をとても面白がって頂きました。またそこに電子音響を重ねていくことで、邦楽と「音響的に共存できる」ことを発見し、本作に繋がっていったのです。
本作では能管は栗林祐輔さんによる演奏(Tr.13 Meridian)です。
「Confession」の作曲中、なにか物足りず悩んでいたところ、若いサントゥール奏者の岩崎和音さんと知り合いました。西洋と東洋の対比になってしまいそうなところ、ペルシャ楽器のサントゥールが入ることで二項対立から脱却できたような気がしています。古典をベースにした即興演奏をしてもらい、音量やタイミングに気をつけながら配置していきました。
15. Via Muzio Clementi
当初の予定では、「Confession」でこのアルバムは終わるはずでした。2019年8月に休暇とアルバムの仕上げ作業を兼ねてローマに行くと、滞在先のアパートにBECHSTEINのピアノがあり、弾いているうちにアルバム最後を締めくくる1曲を作ろう思いました。
タイトルは「ムツィオ・クレメンティ通り」という意味で、滞在していたアパートがあったところです。日本のピアノ学習では必ずといっていいほど通るソナチネの作曲者としてよく知られている作曲家クレメンティが生まれた通りでした。午前に観光をし、昼下がりからアルバム作業、夜にはレストランに行くという夢のような2週間でした。
これまで発表してきた作品の中でもっとも幸せな音楽かもしれません。
参考エッセイ:
- FESTINA LENTE(フェスティーナ・レンテ)
番外: CD特典カバー スコット・ウォーカー「Farmer In The City」
母が昔からスコット・ウォーカーの大ファンで、祖父母が言うには、スコットの曲を聴くと冷や汗が出るほど母はレコードを繰り返し聴いていたとのこと。確かにいつもスコットが家では流れていました。
14歳の夏にロンドンの同級生の家に泊まりに行った際、日本で売っていないスコットのCDを買ってきてくれと母に頼まれました。ロンドンのタワーレコードに行って、スコットのコーナーにあるCDすべて持っていくと、レジのお兄さんに「ワォ、やるじゃねえか」と言われました。
「Farmer In The City」はアルバム《Tilt》に収録されている曲で、積極的にスコットを聴き始めたアルバムです。あれだけのスター性を持ちながら独自の音楽を追究した彼の音楽性に影響されずにはいられません。ドキュメンタリー映画では、アルバム完成前に「これで一生もう聴くことはないから、もう一度聴かせてくれ。」とスタジオで言う彼が印象的でした。スコットは亡くなってしまいましたが、20世紀末に書かれたこの歌はまだ私の中で「21, 21...」と響いています。彼に対するリスペクトと不在の響きをコンセプトにカバーしました。ただし、これはまだプロトタイプです。いつかまた彼のカバーに挑戦したいと思っています。