── 先日4ADのレーベル・ショーケースが日本で開催されたのですが、あなたと4ADの関係は少し珍しいというか、4ADからファーストとセカンドをリリースした後、一度自身のレーベルからサード・アルバムを出して、4作目から再び4ADに復帰しています。この辺りはどういう経緯だったのでしょう?
プレッシャーを感じて怖気づいたんだと思う。それはレーベルからのプレッシャーではなくて、レーベルから作品をリリースすることに対して自分自身がかける期待みたいなものだったんだけど。それで、たとえば金銭面に関して自分だけの力でアルバムを作れば、プレッシャーから自由になれるんじゃないかと思ったんだ。誰のためでもなく自分だけのために音楽を作るっていう。でも一方で僕は4ADという音楽コミュニティに属していることが好きだったんだ。4ADのレコードをたくさん聴いて成長してきたし、だから彼らと仕事をするのが恋しくなった。あのレーベルにはいい人がたくさんいるからね。だからセルフ・リリースしたあと、戻ろうって決めるのは簡単だったよ。
── 好きな4ADのアーティストや、作品はありますか?
コクトー・ツインズはかなり聴いてたな。他のバンドとは違うことをやっていて、唯一無二の存在だったと思う。
── 本作の制作は、あなたが以前働いていた映画館にあった古いオルガンを、一昨年まで住んでいたニューヨークの自宅に運んできたことから始まったそうですが、その映画館はあなたがエミール・クストリッツア監督の映画『黒猫、白猫』を見て、音楽に衝撃を受けたという映画館でしょうか?
そう。初めて働いたのがその映画館だった。ポップコーンを売って映画をタダで観て。食べ物を買うだけのお金ももらえたし映画も観れたから、かなり楽しかったね。
── ちなみに、そのオルガンを使って書いた曲というのはどれですか?
ええと最初に書いたのはどの曲だったかな……そうだ「When I Die」だ。アルバムの最初の曲。あとは……「On Mainau Island」は丸ごとオルガンで書いた。「Varieties of Exile」もオルガンが入ってる。あと「Gauze fur Zhar」もオルガンで書いたけど、結局はほとんどピアノで弾いたね。それから「Landslide」もそうで、「We Never Lived Here」と「Fin」は部分的にそう。書いた曲というのはそんな感じだけど、ほとんどの曲に登場するよ。
── 現在はベルリンに住んでいるそうですが、そのオルガンは今どうなっているのでしょう? ベルリンにも持ってきたのでしょうか?
いや、残念ながら持ってきてないんだ。今こっちに2年いるけど、ゆくゆくは持ってくるかもしれないね。もっと長期のビザが取れればの話だけど(笑)。今はブルックリンにあるバンドのスタジオに置いてある。最近アーケイド・ファイアのウィル・バトラーと話したんだけど、彼が今ブルックリンにいて、オルガンの面倒を見てくれることになって。だからただ放置されているだけじゃなくて、ちゃんと使われることになる。僕がオルガンをどうするか決めるまでね。
── モジュラー・シンセで作ったループをもとに書いた曲というのは、おそらく「We Never Lived Here」だと思うのですが、この曲の歌詞は、若いころから世界を放浪してきたあなたの心境を歌ったものなのでしょうか?
実はあの曲には、ニューヨーク州北部に住んでいたけど、実際自分がどこにいたいのかわからないという、混乱した時期について書いたものなんだ。ある意味問いのようなものだね。自分が本来いるべき場所にいるかどうかわからなかったんだよ。
── 昨年ニューヨークからベルリンに引っ越したのは、スケボーで左腕を骨折したのがきっかけだったそうですが、もう怪我の状態は良いのでしょうか?
ははは。関節炎とか、それと似たような響きの言葉の症状は出るけどね。君が既に知ってるかどうかわからないけど、僕はこれまでの人生でその手首を少なくとも5回骨折してるんだ。最初は橋に登って落ちた時だった。その時は手術したんだ。何度も骨折したせいで僕の左手首は右よりも1㎝短いんだよ。あと金属プレートも入ってるしね。でもまあ楽器は弾けるし大丈夫だよ。ただ、ある意味永久的に怪我してる状態ではある(苦笑)。
── ベルリンといえば、昨年出たマウス・オン・マーズの新作『ディメンショナル・ピープル』に参加して、オーストラリアのパーセルズが参加した「Sidney In A Cup」という曲では歌詞も書いていましたよね。
いや、あれは僕の歌詞じゃなくて他の人のだよ。僕は歌詞はまったく書いてなくてないんだ。歌詞を書いてくれって頼まれたんだけど、僕がやったのはアルバムの最後に入ってるデタラメのフランス語だけ。歌詞を書くのが嫌いだってことを彼らに伝えたら、じゃあメロディ歌うだけでいいよってことになったんだ。
── マウス・オン・マーズのヤン・ヴェルナーとは以前から知り合いだそうですが、コラボしてみてどうでしたか?
ヤンのことはかなり前から知ってるんだけど、面白いことに最初はアーティストである僕の従兄弟を通じて知り合ったんだ。ちなみにそれが今回のアルバム・カバーをやってくれた従兄弟だよ。19歳の時に従兄弟とアムステルダムに滞在してて、僕はマウス・オン・マーズの大ファンだったんだけど、従兄弟がヤンの奥さんと知り合いで紹介してくれたんだよ。って何の話だっけ……そうだコラボレーションだ、すごくよかったよ。マウス・オン・マーズの2人のやり方がそれぞれ全然違って、ヤンとアンディ(・トマ)の作り方はほとんど真逆と言えるくらいなんだ。僕のやり方はアンディの方が近いと思う。でもヤンからのインプットは非常に大事で、彼の音楽に対するアプローチはすごく実験的で、いろんな気づきがあるんだ。
── 「Gauze fuh Zah」はドイツ語だと思うのですが、どんな意味があるのでしょう? ドイツに来てから書いた曲はありますか?
取りあえずくだらないタイトルでもつけておこうということだったんだよ。というのも、曲をレコーディングし始める時、プロ・トゥールズにタイトルをつけてくれって言われるから。でも実は、僕の場合最初にタイトルを決めてあったことがなくて、だからとりあえずまったくのナンセンスか、ふざけたタイトルをつけとくわけ。でもジョークのつもりがまんまと乗せられたというか、曲自体が遊んでる感じになって、なぜだかわからないけど、僕はある意味それを心地よい失敗のようなものとして受け止めたんだ。なんか包帯みたいなもの。
── この曲であなたと一緒に歌っているのは誰ですか? レギュラー・バンドのメンバー以外で、アルバムに参加しているミュージシャンがいたら教えてください。
サビのところでバック・ボーカルをやってるのはニック(・ペトリー)とポール(・コリンズ)で、自分とは違う声がほしかったんだ。でもそれ以外は全部僕だよ。というのも今作のテーマは、90%か95%くらいは楽器を自分で演奏して、アレンジもやっていたファーストとセカンドに一番近かったんだ。どれも自分でやるだけの自信があったから。ただしベースとドラムはほとんどニックとポールが演奏してるけどね、その2つは僕はド下手だからさ。あとは管楽奏者がアレンジしてくれてる部分もいくつかあるね。
── インストゥルメンタルの「On Mainau Island」と「Corfu」、それからヴォーカル曲の「I Giardini」にはそれぞれドイツ、ギリシャ、イタリアの地名がついていますが、これらの曲は実際に訪れた場所をイメージしたものなのでしょうか? リード曲の「Gallipoli」以外に、現地の音楽に影響を受けた曲はありますか?
僕がインストゥルメンタル・トラックを書く時は、いつも自分が一度も行ったことのない場所をリストにして書き出すんだよ(笑)。マイナウ島はドイツ南端にある、スイスとの境にある湖に浮かぶ変な島で、トロピカルな植物とかあってドイツとしては明らかに変なんだけど、蚤の市で島のポストカードを見つけて買ったんだ。そのポストカードを従兄弟のブロディにあげて、そのポストカードをさらに絵で描いたものがアルバムの裏カバーになってるんだ。このアルバムはイタリアでレコーディングしてベルリンで仕上げたわけだし、絵には場所とその矛盾みたいなものが表われてるから合ってるんじゃないかなと思ったんだよね。コルフ島は行ったことないけど、この曲のジャンルとか、インスピレーションの源といった部分の、特定のできなさみたいなものを表わしたくて、でも実際どうやってタイトルを決めたんだっけ……ああ、思い出した。兄に考えてもらったんだ。これまでも彼は素晴らしい曲名の数々を考え出してるんだよ。何でもいいから曲名を書いてくれって頼んでたんだ。曲を一度も聴くことなくね。今回は「Varieties of Exile」と「Corfu」がそう。「I Giardini」はイタリア語で庭って意味で、曲中に庭が出てくる。しかもレコーディングもイタリアだったしね。まあ僕はいろんな国の言葉を使うのが好きなんだよ。言語学に取り付かれてるようなところもあるし、数ヶ国語話すからさ。
── アルバム中、「Varieties of Exile」のタイトルは地名でもなければ、歌詞中にも登場しません。お兄さんが考えたタイトルだということですが、カナダの女性作家メイヴィス・ギャラントに同名の小説がありますが、何か関係があるのでしょうか?
そういう本が存在するってことを知らなかった(笑)。
── 「Landslide」はキーボードやベースのリフとコーラスワークがビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』に収録されていた「I Know There's An Answer」という曲を思わせるのですが、何か参考にした曲はありますか?
間違いなくビーチ・ボーイズの影響を受けてるよ。特にこの曲はそうだから、まさに言い当てられたって感じだな。ビーチ・ボーイズは僕が知った最初の音楽だったし、子供時代において最も重要なものだった。『ペット・サウンズ』は人生で一番聴いてるレコードだしね。
── あなたが10代の頃に影響を受けたというマグネティック・フィールズが、自分の半生を綴ったアルバムを一昨年リリースしましたが聴きましたか? 本作に一部シンセ・ポップ風のアプロ—チの曲があるのも、彼の影響だったりするのでしょうか?
いや、聴いてないんだ。出たことは知ってるし、1〜2曲は聴いたけど、おそらく彼にとってそのアルバムでは、ストーリーを語ることが大事だったんだろうなって思う。残念ながら僕はそれについてよく知らないんだ。でも彼の音楽の影響があるのは間違いない。ある意味僕は、彼のメロディの感性を自分も身に付けようとしてきたと思うし、何だろう……彼の音楽って僕にとってはたまらないというか、彼は僕がこれまで聴いた人の中で、メロディに関して最高の耳を持ってる1人だと思う。あと彼が出てきた頃ってインディー・ミュージックが溢れてて、その多くはボーカルがリバーブに隠れてたり高くて静かな声だったりしたけど、そこに彼が登場して、すごくラウドで存在感のある低い声で、他とは違うものがあって、僕の声も他とは違うものになり得るかもしれないって思わせてくれたんだ。シンセ・ポップ的アプローチについては、僕はもともとシンセサイザーで曲の書き方を覚えたんだよ。そんなにいろんな楽器を弾けるわけじゃなかったからね。彼の音楽からも、キーボードだけでアレンジを構築していくやり方を聴き取っていたと思う。当時はシンセサイザーに入れ込んでたから、それは僕にとって大事なことだったんだ。実際僕の原点はそこだからね。いやトランペットを吹いたり歌ったりもするけど、始めた頃はほとんどドラムマシンとキーボードで音楽を作ってたからさ。
── 本作には「Family Curse」という曲もありますが、あなたと従兄弟のブロディが一緒にデザインしたというアートワークにまつわるエピソードがあれば教えてください。
ブロディのことは小さい頃からよく知ってたというわけじゃないんだけど、10代の頃にヨーロッパに行った時に、父からブロディがアムステルダムに住んでるから会いに行ってみたらどうだって教えてもらったんだ。僕と彼が似たような感性を持っているからってさ。でも今回まで彼と仕事をしたことはなかったんだ。今回の経緯はというと、彼とはしょっちゅう会っててベルリンの彼の家にいた時に、彼が静物の作品に取り組んでいるのを見つけたんだよ。絵の具で描くみたいにデジタルで静物を描いていて、僕はそれを奇妙で興味深いと思った。それでこれは何なのかと彼に訊ねたんだ、ただ静物を描いてるだけなのかとね。そしたら、彼は「違う、瞑想を行なっているんだ」と言ったんだ。話すと複雑になっちゃうけど、彼は、70年代の奇妙なニューエイジ心理学研究に基づいたオブジェクト・アソシエーションと呼ばれることをやっていた。ちなみにブロディってかなり有名なアーティストなんだよ。ホイットニーとかMOMAとかニュー・ミュージアムとか、いろんなところで作品を展示しているし、あと海外でもね。でもレーベルはそのことに気づいてないんじゃないかな。つまり僕が言いたいのは、彼の作品はかなりコンセプチュアルだっていうことで、アルバム・カバーについて説明すると、僕たちは長いセッションを行なって、ごくゆっくりとボディスキャンをしながら、各パーツをスキャンするごとに色とか形とか感情とか、何でも僕がその時思い浮かべたことを彼に伝えていったんだ。つまりあのカバーの“彫像”は僕の体の中身を表わしているということ。かなり奇妙なものだよ。
── アルバムの最初の曲が「When I Die」で、ラストが「Fin」だったので少し心配してしまったのですが、ベイルートは今後も続くのでしょうか?
まずこのアルバムは、かなり重大な声明になっているんだ。これまでアルバムごとに変わろうとしてきて、いろんな影響を受けて、時にはシンセサイザーを多用し、時には管楽だけで作ったりもしてきて、そして僕にとっては今回のアルバムが、これまでのすべてを完璧に調合したアルバムなんだよ。でもだからってベイルートを終わらせようってことではなくて。というか僕が音楽を作ることをやめないかぎりは、この名前を引退する理由は何もないな(笑)。だって僕が音楽を作るとベイルートの音楽に聴こえるからね。最近、アルバムを作り終わってから何か違うことをしようと思ってモジュラー・シンセサイザーを使ってるんだけど、でも僕の中ではそれもやっぱりベイルートの音楽に聴こえるんだよね。このアルバムは曲作りに2年かかってツアーも長くなるだろうから、終わったらかなり疲れ切ってるだろうけど、だからってベイルートは終わらないよ。むしろバンドにとって、僕自身にとって、今はとても重要な時期だと感じてる。
質問制作:清水 祐也
プレッシャーを感じて怖気づいたんだと思う。それはレーベルからのプレッシャーではなくて、レーベルから作品をリリースすることに対して自分自身がかける期待みたいなものだったんだけど。それで、たとえば金銭面に関して自分だけの力でアルバムを作れば、プレッシャーから自由になれるんじゃないかと思ったんだ。誰のためでもなく自分だけのために音楽を作るっていう。でも一方で僕は4ADという音楽コミュニティに属していることが好きだったんだ。4ADのレコードをたくさん聴いて成長してきたし、だから彼らと仕事をするのが恋しくなった。あのレーベルにはいい人がたくさんいるからね。だからセルフ・リリースしたあと、戻ろうって決めるのは簡単だったよ。
── 好きな4ADのアーティストや、作品はありますか?
コクトー・ツインズはかなり聴いてたな。他のバンドとは違うことをやっていて、唯一無二の存在だったと思う。
── 本作の制作は、あなたが以前働いていた映画館にあった古いオルガンを、一昨年まで住んでいたニューヨークの自宅に運んできたことから始まったそうですが、その映画館はあなたがエミール・クストリッツア監督の映画『黒猫、白猫』を見て、音楽に衝撃を受けたという映画館でしょうか?
そう。初めて働いたのがその映画館だった。ポップコーンを売って映画をタダで観て。食べ物を買うだけのお金ももらえたし映画も観れたから、かなり楽しかったね。
── ちなみに、そのオルガンを使って書いた曲というのはどれですか?
ええと最初に書いたのはどの曲だったかな……そうだ「When I Die」だ。アルバムの最初の曲。あとは……「On Mainau Island」は丸ごとオルガンで書いた。「Varieties of Exile」もオルガンが入ってる。あと「Gauze fur Zhar」もオルガンで書いたけど、結局はほとんどピアノで弾いたね。それから「Landslide」もそうで、「We Never Lived Here」と「Fin」は部分的にそう。書いた曲というのはそんな感じだけど、ほとんどの曲に登場するよ。
── 現在はベルリンに住んでいるそうですが、そのオルガンは今どうなっているのでしょう? ベルリンにも持ってきたのでしょうか?
いや、残念ながら持ってきてないんだ。今こっちに2年いるけど、ゆくゆくは持ってくるかもしれないね。もっと長期のビザが取れればの話だけど(笑)。今はブルックリンにあるバンドのスタジオに置いてある。最近アーケイド・ファイアのウィル・バトラーと話したんだけど、彼が今ブルックリンにいて、オルガンの面倒を見てくれることになって。だからただ放置されているだけじゃなくて、ちゃんと使われることになる。僕がオルガンをどうするか決めるまでね。
── モジュラー・シンセで作ったループをもとに書いた曲というのは、おそらく「We Never Lived Here」だと思うのですが、この曲の歌詞は、若いころから世界を放浪してきたあなたの心境を歌ったものなのでしょうか?
実はあの曲には、ニューヨーク州北部に住んでいたけど、実際自分がどこにいたいのかわからないという、混乱した時期について書いたものなんだ。ある意味問いのようなものだね。自分が本来いるべき場所にいるかどうかわからなかったんだよ。
── 昨年ニューヨークからベルリンに引っ越したのは、スケボーで左腕を骨折したのがきっかけだったそうですが、もう怪我の状態は良いのでしょうか?
ははは。関節炎とか、それと似たような響きの言葉の症状は出るけどね。君が既に知ってるかどうかわからないけど、僕はこれまでの人生でその手首を少なくとも5回骨折してるんだ。最初は橋に登って落ちた時だった。その時は手術したんだ。何度も骨折したせいで僕の左手首は右よりも1㎝短いんだよ。あと金属プレートも入ってるしね。でもまあ楽器は弾けるし大丈夫だよ。ただ、ある意味永久的に怪我してる状態ではある(苦笑)。
── ベルリンといえば、昨年出たマウス・オン・マーズの新作『ディメンショナル・ピープル』に参加して、オーストラリアのパーセルズが参加した「Sidney In A Cup」という曲では歌詞も書いていましたよね。
いや、あれは僕の歌詞じゃなくて他の人のだよ。僕は歌詞はまったく書いてなくてないんだ。歌詞を書いてくれって頼まれたんだけど、僕がやったのはアルバムの最後に入ってるデタラメのフランス語だけ。歌詞を書くのが嫌いだってことを彼らに伝えたら、じゃあメロディ歌うだけでいいよってことになったんだ。
── マウス・オン・マーズのヤン・ヴェルナーとは以前から知り合いだそうですが、コラボしてみてどうでしたか?
ヤンのことはかなり前から知ってるんだけど、面白いことに最初はアーティストである僕の従兄弟を通じて知り合ったんだ。ちなみにそれが今回のアルバム・カバーをやってくれた従兄弟だよ。19歳の時に従兄弟とアムステルダムに滞在してて、僕はマウス・オン・マーズの大ファンだったんだけど、従兄弟がヤンの奥さんと知り合いで紹介してくれたんだよ。って何の話だっけ……そうだコラボレーションだ、すごくよかったよ。マウス・オン・マーズの2人のやり方がそれぞれ全然違って、ヤンとアンディ(・トマ)の作り方はほとんど真逆と言えるくらいなんだ。僕のやり方はアンディの方が近いと思う。でもヤンからのインプットは非常に大事で、彼の音楽に対するアプローチはすごく実験的で、いろんな気づきがあるんだ。
── 「Gauze fuh Zah」はドイツ語だと思うのですが、どんな意味があるのでしょう? ドイツに来てから書いた曲はありますか?
取りあえずくだらないタイトルでもつけておこうということだったんだよ。というのも、曲をレコーディングし始める時、プロ・トゥールズにタイトルをつけてくれって言われるから。でも実は、僕の場合最初にタイトルを決めてあったことがなくて、だからとりあえずまったくのナンセンスか、ふざけたタイトルをつけとくわけ。でもジョークのつもりがまんまと乗せられたというか、曲自体が遊んでる感じになって、なぜだかわからないけど、僕はある意味それを心地よい失敗のようなものとして受け止めたんだ。なんか包帯みたいなもの。
── この曲であなたと一緒に歌っているのは誰ですか? レギュラー・バンドのメンバー以外で、アルバムに参加しているミュージシャンがいたら教えてください。
サビのところでバック・ボーカルをやってるのはニック(・ペトリー)とポール(・コリンズ)で、自分とは違う声がほしかったんだ。でもそれ以外は全部僕だよ。というのも今作のテーマは、90%か95%くらいは楽器を自分で演奏して、アレンジもやっていたファーストとセカンドに一番近かったんだ。どれも自分でやるだけの自信があったから。ただしベースとドラムはほとんどニックとポールが演奏してるけどね、その2つは僕はド下手だからさ。あとは管楽奏者がアレンジしてくれてる部分もいくつかあるね。
── インストゥルメンタルの「On Mainau Island」と「Corfu」、それからヴォーカル曲の「I Giardini」にはそれぞれドイツ、ギリシャ、イタリアの地名がついていますが、これらの曲は実際に訪れた場所をイメージしたものなのでしょうか? リード曲の「Gallipoli」以外に、現地の音楽に影響を受けた曲はありますか?
僕がインストゥルメンタル・トラックを書く時は、いつも自分が一度も行ったことのない場所をリストにして書き出すんだよ(笑)。マイナウ島はドイツ南端にある、スイスとの境にある湖に浮かぶ変な島で、トロピカルな植物とかあってドイツとしては明らかに変なんだけど、蚤の市で島のポストカードを見つけて買ったんだ。そのポストカードを従兄弟のブロディにあげて、そのポストカードをさらに絵で描いたものがアルバムの裏カバーになってるんだ。このアルバムはイタリアでレコーディングしてベルリンで仕上げたわけだし、絵には場所とその矛盾みたいなものが表われてるから合ってるんじゃないかなと思ったんだよね。コルフ島は行ったことないけど、この曲のジャンルとか、インスピレーションの源といった部分の、特定のできなさみたいなものを表わしたくて、でも実際どうやってタイトルを決めたんだっけ……ああ、思い出した。兄に考えてもらったんだ。これまでも彼は素晴らしい曲名の数々を考え出してるんだよ。何でもいいから曲名を書いてくれって頼んでたんだ。曲を一度も聴くことなくね。今回は「Varieties of Exile」と「Corfu」がそう。「I Giardini」はイタリア語で庭って意味で、曲中に庭が出てくる。しかもレコーディングもイタリアだったしね。まあ僕はいろんな国の言葉を使うのが好きなんだよ。言語学に取り付かれてるようなところもあるし、数ヶ国語話すからさ。
── アルバム中、「Varieties of Exile」のタイトルは地名でもなければ、歌詞中にも登場しません。お兄さんが考えたタイトルだということですが、カナダの女性作家メイヴィス・ギャラントに同名の小説がありますが、何か関係があるのでしょうか?
そういう本が存在するってことを知らなかった(笑)。
── 「Landslide」はキーボードやベースのリフとコーラスワークがビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』に収録されていた「I Know There's An Answer」という曲を思わせるのですが、何か参考にした曲はありますか?
間違いなくビーチ・ボーイズの影響を受けてるよ。特にこの曲はそうだから、まさに言い当てられたって感じだな。ビーチ・ボーイズは僕が知った最初の音楽だったし、子供時代において最も重要なものだった。『ペット・サウンズ』は人生で一番聴いてるレコードだしね。
── あなたが10代の頃に影響を受けたというマグネティック・フィールズが、自分の半生を綴ったアルバムを一昨年リリースしましたが聴きましたか? 本作に一部シンセ・ポップ風のアプロ—チの曲があるのも、彼の影響だったりするのでしょうか?
いや、聴いてないんだ。出たことは知ってるし、1〜2曲は聴いたけど、おそらく彼にとってそのアルバムでは、ストーリーを語ることが大事だったんだろうなって思う。残念ながら僕はそれについてよく知らないんだ。でも彼の音楽の影響があるのは間違いない。ある意味僕は、彼のメロディの感性を自分も身に付けようとしてきたと思うし、何だろう……彼の音楽って僕にとってはたまらないというか、彼は僕がこれまで聴いた人の中で、メロディに関して最高の耳を持ってる1人だと思う。あと彼が出てきた頃ってインディー・ミュージックが溢れてて、その多くはボーカルがリバーブに隠れてたり高くて静かな声だったりしたけど、そこに彼が登場して、すごくラウドで存在感のある低い声で、他とは違うものがあって、僕の声も他とは違うものになり得るかもしれないって思わせてくれたんだ。シンセ・ポップ的アプローチについては、僕はもともとシンセサイザーで曲の書き方を覚えたんだよ。そんなにいろんな楽器を弾けるわけじゃなかったからね。彼の音楽からも、キーボードだけでアレンジを構築していくやり方を聴き取っていたと思う。当時はシンセサイザーに入れ込んでたから、それは僕にとって大事なことだったんだ。実際僕の原点はそこだからね。いやトランペットを吹いたり歌ったりもするけど、始めた頃はほとんどドラムマシンとキーボードで音楽を作ってたからさ。
── 本作には「Family Curse」という曲もありますが、あなたと従兄弟のブロディが一緒にデザインしたというアートワークにまつわるエピソードがあれば教えてください。
ブロディのことは小さい頃からよく知ってたというわけじゃないんだけど、10代の頃にヨーロッパに行った時に、父からブロディがアムステルダムに住んでるから会いに行ってみたらどうだって教えてもらったんだ。僕と彼が似たような感性を持っているからってさ。でも今回まで彼と仕事をしたことはなかったんだ。今回の経緯はというと、彼とはしょっちゅう会っててベルリンの彼の家にいた時に、彼が静物の作品に取り組んでいるのを見つけたんだよ。絵の具で描くみたいにデジタルで静物を描いていて、僕はそれを奇妙で興味深いと思った。それでこれは何なのかと彼に訊ねたんだ、ただ静物を描いてるだけなのかとね。そしたら、彼は「違う、瞑想を行なっているんだ」と言ったんだ。話すと複雑になっちゃうけど、彼は、70年代の奇妙なニューエイジ心理学研究に基づいたオブジェクト・アソシエーションと呼ばれることをやっていた。ちなみにブロディってかなり有名なアーティストなんだよ。ホイットニーとかMOMAとかニュー・ミュージアムとか、いろんなところで作品を展示しているし、あと海外でもね。でもレーベルはそのことに気づいてないんじゃないかな。つまり僕が言いたいのは、彼の作品はかなりコンセプチュアルだっていうことで、アルバム・カバーについて説明すると、僕たちは長いセッションを行なって、ごくゆっくりとボディスキャンをしながら、各パーツをスキャンするごとに色とか形とか感情とか、何でも僕がその時思い浮かべたことを彼に伝えていったんだ。つまりあのカバーの“彫像”は僕の体の中身を表わしているということ。かなり奇妙なものだよ。
── アルバムの最初の曲が「When I Die」で、ラストが「Fin」だったので少し心配してしまったのですが、ベイルートは今後も続くのでしょうか?
まずこのアルバムは、かなり重大な声明になっているんだ。これまでアルバムごとに変わろうとしてきて、いろんな影響を受けて、時にはシンセサイザーを多用し、時には管楽だけで作ったりもしてきて、そして僕にとっては今回のアルバムが、これまでのすべてを完璧に調合したアルバムなんだよ。でもだからってベイルートを終わらせようってことではなくて。というか僕が音楽を作ることをやめないかぎりは、この名前を引退する理由は何もないな(笑)。だって僕が音楽を作るとベイルートの音楽に聴こえるからね。最近、アルバムを作り終わってから何か違うことをしようと思ってモジュラー・シンセサイザーを使ってるんだけど、でも僕の中ではそれもやっぱりベイルートの音楽に聴こえるんだよね。このアルバムは曲作りに2年かかってツアーも長くなるだろうから、終わったらかなり疲れ切ってるだろうけど、だからってベイルートは終わらないよ。むしろバンドにとって、僕自身にとって、今はとても重要な時期だと感じてる。
質問制作:清水 祐也