Photo by Yukitaka Amemiya
早めに会場に着くと、かすかなドローン・ノイズが静かに流れている。最初は観客の話し声に埋もれてしまうようなかすかな音量だったが、いつのまにかそのダークなアンビエント・ノイズは会場を圧するような大音量になり、その張り詰めた緊張感が臨界点に達したとき会場は暗転し、フローティング・ポインツの東京exシアター公演が始まった。
新作『Cascade』を引っさげての日本ツアーは、アライヴ・ペインティング・アーティストのAkiko Nakayama(中山晃子)、レーザー・ライティングのYAMACHANGとのコラボレーションだった。ちょうど2時間に及んだライヴ体験は、すさまじいの一言に尽きる。映像と音響が完璧に融合……というよりは、互角の両者がガチンコで対峙してがっぷり四つで闘っているような唯一無二のパフォーマンス・アートは、これまでの同種のライヴ・ショウの領域をはるかに超えた、まったく新しい価値観と美意識を創出していたのである。
昨年のフジロックではフェスティヴァルという場に合わせ、徹底して踊らせるセットを披露していたフローティング・ポインツが、今回はたっぷり2時間を使い、バキバキの四つ打ちからドラムン、アンビエント、ドローン、ノイズまで緩急自在に行き来し、大きな流れの中で硬と軟、静と動のダイナミズムを大胆かつ緻密に展開していく。まるで音を操る科学者のような冷静な手つきで次々と魔術のようなサウンドを繰り出していくのだ。全身をマッサージされるような重低域、クリアで粒立ちのいい切れ味抜群の中高域、会場サイズを超えるような広がりのある立体的な音場があいまっての鳥肌の立つような音響の快楽は、液体状の絵の具を利用した流動的で予測不可能なリキッド・アートや、鋭く放射するレーザーと一体化して、およそ類例のない画期的かつ圧倒的なオーディオ・ヴィジュアル体験をもたらしたのである。
歌詞はない、親しみやすいメロディもわかりやすい楽曲構成もない、意味のある音はない、具体的な事物も情報もない。あるのはアブストラクトで断片的な光と音と色の饗宴だ。それでも、そこには想像力が羽ばたける余白がある。一瞬たりとも聞き逃せない、見逃せない。
Nakayamaのアート・パフォーマンスはほぼその場での即興と思われるが、スペクタクルで壮大な宇宙のようでもあり、パーソナルな内面世界を彷徨う孤独な魂のようでもあり、「アライヴ・ペインティング」の名の通り、生き物のように自在に変化していく。フローティング・ポインツのドラマティックな音響アートにリアルタイムで対応し、天空の果てから深海の底まで、バクテリアの顕微鏡写真のようなミクロな世界から銀河の全景まで、毒々しい原色のペインティングから水墨画のようなモノトーンの美まで、瞬時に表現するアイディアの豊富さとセンス、反射神経の鋭さは圧巻というしかない。昨年秋のヨーロッパ・ツアーから何度もコラボを重ねてきた両者だけに、曲の展開を読み切ったようなジャスト・タイミングな手動グラフィックは、演奏と自動同期して整然と進行するだけの凡庸なCGとは全く異なる美の形を表現していた。もはやフローティング・ポインツのライヴはAkiko Nakayamaなしには考えられない。そんな境地さえ感じさせた。
きづけば2時間がたち、音がやみ、アーティストがステージを去って、とぼとぼと会場をあとにして夜の六本木の街を歩いても、さきほどまで見ていた目くるめく夢のような記憶から抜け出せない。こんな強烈な没入感のあるライヴは久しぶりだった。間違いなく2025年最初の、そして最高の体験だったのである。
Text by 小野島大
早めに会場に着くと、かすかなドローン・ノイズが静かに流れている。最初は観客の話し声に埋もれてしまうようなかすかな音量だったが、いつのまにかそのダークなアンビエント・ノイズは会場を圧するような大音量になり、その張り詰めた緊張感が臨界点に達したとき会場は暗転し、フローティング・ポインツの東京exシアター公演が始まった。
新作『Cascade』を引っさげての日本ツアーは、アライヴ・ペインティング・アーティストのAkiko Nakayama(中山晃子)、レーザー・ライティングのYAMACHANGとのコラボレーションだった。ちょうど2時間に及んだライヴ体験は、すさまじいの一言に尽きる。映像と音響が完璧に融合……というよりは、互角の両者がガチンコで対峙してがっぷり四つで闘っているような唯一無二のパフォーマンス・アートは、これまでの同種のライヴ・ショウの領域をはるかに超えた、まったく新しい価値観と美意識を創出していたのである。
昨年のフジロックではフェスティヴァルという場に合わせ、徹底して踊らせるセットを披露していたフローティング・ポインツが、今回はたっぷり2時間を使い、バキバキの四つ打ちからドラムン、アンビエント、ドローン、ノイズまで緩急自在に行き来し、大きな流れの中で硬と軟、静と動のダイナミズムを大胆かつ緻密に展開していく。まるで音を操る科学者のような冷静な手つきで次々と魔術のようなサウンドを繰り出していくのだ。全身をマッサージされるような重低域、クリアで粒立ちのいい切れ味抜群の中高域、会場サイズを超えるような広がりのある立体的な音場があいまっての鳥肌の立つような音響の快楽は、液体状の絵の具を利用した流動的で予測不可能なリキッド・アートや、鋭く放射するレーザーと一体化して、およそ類例のない画期的かつ圧倒的なオーディオ・ヴィジュアル体験をもたらしたのである。
歌詞はない、親しみやすいメロディもわかりやすい楽曲構成もない、意味のある音はない、具体的な事物も情報もない。あるのはアブストラクトで断片的な光と音と色の饗宴だ。それでも、そこには想像力が羽ばたける余白がある。一瞬たりとも聞き逃せない、見逃せない。
Nakayamaのアート・パフォーマンスはほぼその場での即興と思われるが、スペクタクルで壮大な宇宙のようでもあり、パーソナルな内面世界を彷徨う孤独な魂のようでもあり、「アライヴ・ペインティング」の名の通り、生き物のように自在に変化していく。フローティング・ポインツのドラマティックな音響アートにリアルタイムで対応し、天空の果てから深海の底まで、バクテリアの顕微鏡写真のようなミクロな世界から銀河の全景まで、毒々しい原色のペインティングから水墨画のようなモノトーンの美まで、瞬時に表現するアイディアの豊富さとセンス、反射神経の鋭さは圧巻というしかない。昨年秋のヨーロッパ・ツアーから何度もコラボを重ねてきた両者だけに、曲の展開を読み切ったようなジャスト・タイミングな手動グラフィックは、演奏と自動同期して整然と進行するだけの凡庸なCGとは全く異なる美の形を表現していた。もはやフローティング・ポインツのライヴはAkiko Nakayamaなしには考えられない。そんな境地さえ感じさせた。
きづけば2時間がたち、音がやみ、アーティストがステージを去って、とぼとぼと会場をあとにして夜の六本木の街を歩いても、さきほどまで見ていた目くるめく夢のような記憶から抜け出せない。こんな強烈な没入感のあるライヴは久しぶりだった。間違いなく2025年最初の、そして最高の体験だったのである。
Text by 小野島大