Beyondless (Limited Vinyl)
Iceage
RELEASE: 2019.05.31
デンマーク発ポストパンク/ハードコア・バンドのアイスエイジ
2018年にリリースし最高傑作との呼び声高いアルバム『Beyondless』の限定輸入盤LPが発売!
カリスマVo. エリアス・ベンダー・ロネンフェルト率いる、デンマーク・コペンハーゲン出身の4人組ポストパンク/オルタナティブ・バンド、アイスエイジが2018年リリースしたアルバム『Beyondless』の限定輸入盤LPを5月31日に発売する。今回のLPは200枚限定で、帯付きのグレー・クリアヴァイナル
Pain Killer feat. Sky Ferreira
Catch It (Music Video)
活動初期から失うことのない、バンドとしての大胆不敵かつ確固たる姿勢はそのままに、アイスエイジは本作『Beyondless』で、ようやく自分たちの野心に追いつくことができた。そんな新作に対し、NYパンクシーンのカリスマで、作家としての顔も持つリチャード・ヘルが次のようなエッセイを寄せている。
THE NEW ICEAGE
by Richard Hell
自分が子供の頃に、扉を閉めた暗い自分の部屋で、このバンドを聴いて、自分が必要としているものが得られているところを容易に想像できる。バンドは、その音楽を聴いた人の存在を肯定し、自信を与え、時には理想を提示してくれる。もしくは、自分はすでに反抗的で自分とは何かという確信があるから、アイスエイジに共感するのかもしれない。アイスエイジもそうだから。彼らに、音楽を通して自分というものを代表してもらいたい。ロックンロールのバンドとその作品が、若い観客に提示したり分け与えたりするものには、奇妙な性質が組み合わさっている。音楽には純粋な感情がある。それは、若者の強い感情、つまり怒り、悲しみ、軽蔑、憧れなど。それ以外にも音楽にはエネルギーやセックスがあり、バンドはそれら全てを優雅に保有でき、提供でき、それらの中で混乱するフォロワーたちを慰められるということを披露しなければならない。
ではアイスエイジが具体的にもたらすものは何なのだろう?たくさんの非日常的なもの(詩だ!これについて後で詳しく書く)。バンドメンバー同士は幼馴染、それは良いことだ。彼らはお互いを信頼し合い、外部者を疑う(私みたいな音楽ジャーナリストが一番疑われる)、都会の小さなギャングのようなものだ。同時に彼らは、大人っぽく見えるし、有能そうにも見え、それは期待以上になっている。彼らは演奏と作曲がうまい上に、アルバムのプロダクションに関しても初期段階から、たとえ音楽が最も混沌を極めている時でも、非の打ち所が無い。彼らの演出は、他の誰よりもハードコアでアナーキーなのに、他のほとんどのバンドよりも、上手に演奏し、ミキシングをし、レコーディングをしている。
そこに詩と知性が加わる。アイスエイジのメンバーは賢いだけでなく、非常に文学通でもある。リードシンガーであり歌詞も書いているE・ロネンフェルトのインタビューには、カーソン・マッカラーズの『心は孤独な狩人』や、ジョルジュ・バタイユの『眼球譚』、ピーター・シェーファーの『エクウス』、三島由紀夫の『午後の曳航』、ジュネの『泥棒日記』と『薔薇の奇跡』、オクターヴ・ミルボーの『責苦の庭』、ヘンリー・ミラーの『Writing』、ジェームズ・エイジーの『A Death in the Family』が言及されており、それも計4回のインタビューの中である。別に自慢するわけでもなく、彼はただ素直であり、文学というものを自然に認識しているだけのことだ。
アイスエイジの曲の歌詞には、私が今まで聴いたロック音楽の中で最も洗練されたボキャブラリーが使われている。大好きな例として、新作からの「Pain Killer feat. Sky Ferreira」がある:
君の足元を祭壇にして祈る
君の涎はものすごくほろ苦い麻薬
何が得られるかは自分で勝手に決める (arrogate)
つかの間の抱擁の中で
…「arrogate 」???私はこの単語を部分的にしか知らなかったので、確認のため調べた。「不当に称する・獲得する」という意味らしい。ラテン語の語源からは「arrogant (傲慢な)」という単語もあり、こちらの方がロネンフェルトに当てはまるのではないかと思う人もいるだろう。特に、人々が彼のことを理解する時、彼が見せる軽蔑な表情に対して。だけど、私にはわかる。他人に自分のことを特徴付けられるのは非常に鬱陶しいことだ。 そして「arrogate」が暗示する意味は、「take (取る)」や「seize (獲得する)」や「claim (主張する)」では表現できない、別の繊細さを歌詞に与えてくれる。だが率直に言って、私がこの歌詞のどこが本当に好きかというと、彼が愛人の足元で祈っているという概念だ。これは良い。別の詩人、「美への賛歌」を書いたシャルル・ボードレールの似たような情景を思い出した:
お前が来たのが天であれ地獄であれ、それに何の意味があろう、
おお、美よ! 巨大で恐ろしく、無邪気な怪物よ!
もしもお前の目、微笑、足元が、私の愛する決して知ることのない
無限への扉を私に開いてくれるのであるなら?