Dial M For Murder In Dub Style
Phil Pratt & The Sunshot Band
RELEASE: 2011.12.03
『ダイヤルM・フォー・マーダー・イン・ダブ・スタイル』は、レイ・ミランド主演、アフルレッド・ヒッチコック監督の映画“ダイヤルM・フォー・マーダー”にちなんでネーミングされた。これは、プロデューサー、フィル・プラットの最もダイナミックなダブ作品の1つである。当然、コレクターの世界では極めて人気の高いアルバムだ。時が経ち、ジャマイカン・ミュージックにおいて(才能があるのに)賛美されていない素晴らしいヒーローの一人として浸透してきたフィル・プラットによる、勢いがあり、パンチの効いた作品である。才能あるシンガーでもあるプラットは、60年代初めから常に音楽界に身を置いてきた。
フィル・プラットは、遡る事60年代半ば、バニー・‘ストライカー’・リーがケン・ラックのカルトーン・レーベルでプロデュースをしていたのと同時期にプロデュースを開始。70年代初めには、彼は彼自身の作品を作り始め、サンショット、チャナン・ジャー(チャナンはアフリカのスワヒリ語の言葉が由来)、そしてサウンズ・ユナイテッドを含むジャマイカのレーベルをスタートする。彼は、グレゴリー・ アイザックス、デルロイ・ウィルソン、デニス・ブラウン、ホレス・アンディ、ジョン・ホルト、パット・ケリー、アル・キャンベル、そしてプラットのお気に入りのシンガーであるケン・ブースなどを初めとするジャマイカのベスト・ヴォーカリスト達の作品をレコーディング&リリース。彼のレコードは、UKでもフェイスやターミナルなどのレーベルからリリースされた。ザ・フェイスというレーベルは、プラットの友人であるジョージ・フェイスの名字から名付けられ、70年代半ばに入ると、彼はビッグ・ユースの最も刺激的な作品の内のいくつかを録音し、素晴らしいDJであるアイ・ロイやディリンガーもプラットのためにレコーディングした。プラットが自分自身のレコード施設を所有したことは一度もなく、スタジオからスタジオを転々としていたが、彼が特に気に入っていたのはブラック・アーク。スタジオの時間を確保できたときは、常にそこでレコーディングを行っていた。
『ダイヤルM・フォー・マーダー』は、1979年/1989年、チャンネル・ワンで、スライ・アンド・ロビーと共にリズム・セクションとしてレコーディングされた。ラド・ブライアンがギター、ボビー・カルファット&アンセル・コリンズがキーボードとピアノ、トミー・マクック&ハーマン・マーカス(マークイス?)がホルンを担当。少なくはあっても輝かしいプレイヤー達が揃い、彼らはフィル・プラットが定期的に採用する顔ぶれだった。特に、その後プラットの多くのレコーディング・セッションに何度も顔を出し、素晴らしいインストをレコーディングすることとなったボビー・カルファットは、注目する価値があるアーティストである。
チャンネル・ワンは、このアルバムがミックスされたスタジオであり、この時期、新しいミキシング・ボードが導入されたことにより、スタジオはジャマイカのベスト・スタジオのひとつとなった。バニー・トム・トムは、当時のチャンネル・ワン内のミキシング・エンジニアで、アルバムをミックスしたのは彼とプロデューサーのフィル・プラットだった。リズムの殆どはチャンネル・ワンによって産み出され、今回のアルバムにはヴォーカルの形跡がわずかに残っており、オリジナルのリズム・トラックを確認することができる。ジュニア・ブラウンの「ホワット・ア・ディザスター」でのヴォーカル・カットは、リミックスされ、「ドント・ウォッチ・マイ・サイズ」に改名された。これはアルバムの中で唯一ヴォーカルが確認できるトラックである。
彼の初期のプロダクションからずっと、フィル・プラットは、一貫してハイレベルな音楽作ろうと試みていた。ロックステディの時代と、レゲエが普及した1970年代を進み、1980年代初めにはトップクオリティの音楽を作り続けることに成功した彼であったが、比較的謎に包まれた姿のままでいることを選択。少なくとも、彼と同時期に活躍した人々に比べるとそうである。そして彼は、ジャマイカの音楽シーンの裏側で活躍することにした。これから先、再リリースされた彼の作品をもう2、3枚見れることを期待したい。『ダイヤルM・フォー・マーダー』は、そのスタートに相応しい最高の作品だ!!!
LPには10曲のオリジナル・トラックがフィーチャーされており、CDには5曲のボーナス・トラックが付いてくる。我々は、オリジナル・スリーヴとカバーのアートワークを用意しており、スリーヴ・ノートにはスティーヴ・バーカーを起用している。これは最高のアルバムであり、我々が喜んでプレッシャー・サウンズのカタログに加えたいと思う作品だ。